#05
あのデートの日から、あたしとエースの関係が変わった、ということはない。
ないのかよ!というツッコミありがとうございます。でも、あの話題に触れることはない。
お互いがそれをなんとなく避けているということを、お互いが理解している。
その話をしてしまえば、絶対に答えを出さなきゃいけないような気がするからだ。
あたしにはまだ、その答えを出せそうもない。ほんとは答えなんか決まっている。
それでも淡い夢を見ていたいというのは、あたしのわがままなんだろうか。エースに甘えているあたしの。
そういえば、あたしとエースの関係が変わってしまったということはなかったものの、最近街の様子が
少しおかしいように思う。
いつもは、女子がむかつくほど買いに来てくれるというのに、それもめっきり減ってしまい、全体的に
買いに来てくれる人が少なくなったのだ。流行り病にでもかかったのだろうか。違うだろうけど。
その上、よそよそしくなった。あたしたちに。前からそんな愛想がよかったわけでもないけれど、
最近はより愛想が悪い。というかなくなった?一体なにが起こっているのやら。
それでもコツコツと貯めていたお金のおかげで、船の資金はもうすぐ貯まる。2、3日中には貯まるの
ではないだろうか。そうしたら、あたしは選ばなきゃいけないんだ。
「エース?もうそろそろ売りに行くよ」
「あァ、今行く」
選ばなきゃいけないとしても、あたしはやっぱり今日もヒゾンの実を売りに行く。
もう、それしかできないような気がするから。
◇◇◇
「…やっぱり今日もあんまり人来ないね」
「そうだなァ」
「どうしたんだろ」
「んーわからん」
「あたしもわからん」
今日も今日とて人来ない。なーんかなあ。なんででしょ。
あ、そうだ。なんか変だなあと思ったら、そもそも街に人があんまり歩いていない。人口減。
日に日に街を歩く人が少なくなってるんだよね。ほんとに流行り病とかだったりするの?
もしほんとにそうだったらあたしたぶん病気に負ける気がする。いやでも逆に勝てるかも。
いつも汚いもの触ったりしているし。汚いものって別に馬糞とか牛糞とかじゃないよ。それに糞には
栄養がいっぱいつまってるからそれはそれで畑の肥料に大いに役立つのだよって何の話してるんだ。
あの、土とか泥とかそういうことですよ、ざっくり言えば。汚いものの中で育つと免疫力がつくから。
そういう意味であたしは強いんだよってすごい無駄に長く考えてしまった。あほらしい。
それにしても見事に客が来ない。あともう少しで船買えるんだから協力してよ、おねがいだから。
誰でもいいから来い。来い来ーい。あーあ。
「あともう少しで貯まるのにね、お金」
「あァ」
「誰か来てくれないかなー」
「おれは別に、」
「ん?」
「いや、なんでもない」
別にってなんだ別にって。言いたいことあるなら言えばいいのに。それくらい我慢しないでよ。
あたしはエースとさよならする時は、笑顔で別れるって決めてんだからね。
…さよなら、か。
「お嬢さん!」
「え?あ、美容院の」
「ここにあるヒゾン、全部くださる?」
「全部?いいんですか?」
「いいのよ!あなたたち、お金貯めてるんでしょ?」
「え、なんでそれを」
「いわゆる一つの盗み聞きよ!」
「そ、そうですか」
「じゃあお金、ここに置いて行くわね!」
「あ、ありがとうございます!ほら、エースも!」
「おー、ありがとうな!」
「あらやだ本当に良い男!それじゃあね!頑張りなさいよ!」
「はーい」
良いおばさんだ。全部買ってってくれるなんて。盗み聞きってさらっと言ったけど流すことにする。
あ、じゃあもしかしてお金、貯まったんじゃない?うそ、ほんとに?
ちょっと数えてみるか。ひーふーみー…ある。ひーふーみーある。あります。
お金、貯まっちゃいました。しかも最後はこんなあっさり。なんか変に動揺してるあたしは何なの。
とりあえずエースに報告しとくか。
「エース、お金貯まっちゃった」
「は?」
「船のお金貯まったの。だから、これで船買えるよ」
「…そうか」
「どうする?このまま、船買いに行く?」
「いや、明日でいい」
「…そっか」
明日か。明日船を買って、エースはさっさと出てってしまうのだろうか。
なに寂しがってんだか。エースを見送ることを決めたのは自分なのに。返事を先延ばしにしたって、
どうせ答えは同じなのに。あたしっていうやつは、ほんとどこまでもひねくれてしまっているんだなあ。
「エース、今日はこれで終わりだし、船出に必要なものを買いに行こうか」
「今日じゃなくてもいいだろ」
「いいから、買い物デートしようよ」
「……」
「先に揃えた方があとで楽でしょ」
「…わかった」
「よし、じゃあ行こう」
いつもはエースが乗り気じゃないあたしを誘うことが多い。でも、今日は反対だね。
エースが船出に関することを、できるだけ先延ばしにしようとしているのはなんとなくわかる。
だけど、あたしからしたらそれは困る。あたしの中にある小さな決心がこれ以上揺らいだら困るからさ。
ごめんね、エース。
◇◇◇
「あ、これエースに似合うね。どう?」
「いや、いい」
「なんでよ」
「燃えちまうし」
「はい?なんで燃えるの?だいたいなんであんたいつも上半身裸なの」
「あーわけありでして」
「ふうん」
燃えるってなんだろうね。血が滾るぜみたいなこと?いやでもそれと上着燃えるのは関係ないだろ。
わけありってどういう意味なんだろう。まあ、本人がいらないって言うならいいんだけどさ。
というわけで、船出に必要な物資を調達しているものの、正直なにがいるのかわからない。
なんといってもあたしは初心者なもんで。ここから出ることもないから、そういうのわからん。
この島はもともと出て行くものもいなければこの島に来るものもいない。
世界に忘れられているんじゃねえのかというくらい来客がないものだから、エースが来た時は
それなりにあたしも驚いていた。だから船出なんてするやつなんて、見たことがないのだ。
まあ魚を獲りに行く漁船くらいなら見たことあるけど?それくらいしかない、というわけだ。
つまり、海賊すら立ち寄ることのない珍しい島なんだろうな。だーから、うましか中年親父が好き勝手
できてるっていう話なんだけどね。ほんといい迷惑。
でも、ここのうましか中年親父ですら海軍に連絡は取れるんじゃないかと思う。それがあたしの心配事。
エースが海賊っていうことは、あたし以外はいないだろうからだいじょぶだとは思うけど。
いや、でもなーんかひっかかるような気もするんだよなあ。なにがひっかかってるのかはわからないが。
とりあえず、エースの船出が無事できるように、あたしはあたしができることをやろう。
◇◇◇
「今日はえらくご馳走だなァ!」
「まあ食材がたくさんあるうちに、あたしの料理の腕をふるまっておこうと思ってね」
「ほー。確かにお前のメシはうまい」
「そうだろうそうだろう!さ、いつもより愛を込めて作ったから味わって食べたまえ」
「おう!いただきます!」
「って言ってるそばからあんた食べんの早すぎなんだよ!そして途中で寝るな!」
こんなやりとりもあともうなくなっちゃうとなると、やっぱり寂しいもんですね。
だからといって食事中に寝るのはやめてほしいけど。100歩譲って寝るのは良しとしても、お皿に
顔面突っ込むのだけはほんとやめて。あたしにも飛ぶから。まじで。
でも、久しぶりに誰かと一緒にご飯食べたり、誰かのためにご飯を作ったり、一緒に商売したり、
木の実を拾ったり、街に遊びに行ったり、一緒に海を眺めたりした。
それに、この島以外の話も聞けた。海賊のことも。エースのいる白ひげ海賊団はすごく大きいんだって。
たくさんの海賊も乗ってて、みんな面白い人ばっかりらしい。
エースの背中にあるのはエースの誇りだって言ってた。白ひげっていうのはすごい人なんだな。
なんでも白ひげのことをエースはオヤジって呼んでるらしく、船のクルーはみんな家族みたいなもん
なんだってさ。そういうのってすごくすてきだと思う。血は繋がってなくても、家族になれるんだから。
あー話を聞けば聞くほど、海への憧れは強くなるもんだなあ。
「、おかわり!」
「あ!あたしのエビが!なに食べてんのよ!出せこら!」
「いでででで!これ全部おれのじゃないのか?」
「んなわけあるか!」
食事に関してもう少ししつけしておけばよかったかもしれないとちょっと思った。
◇◇◇
ご飯を食べ終わった後、エースがちょっと散歩しようと言うので、海まで散歩することにした。
あたしたちは、月明かりを頼りにしながら砂浜を歩き、適当に座った。静かな波音しか聞こえない。
「なァ、」
「なに?」
「おれ、明日船買ったらそのままここを出る」
「そっか、」
「お前の仕事の手伝いをしてからだけどな」
「別にいいよ、最後くらい」
「最後だからケジメをつけるんだろ」
「…そっか」
「返事」
「え?」
「聞いてもいいか」
「…うん」
そう言うと、海の方に向けていた体をこちらに向けたので、あたしもちゃんとしなきゃと思って、
正座をしてエースと向かい合わせになった。っていうか砂浜で正座って。すてきすぎるね。
「おれは、と一緒にここを出たい。だから、おれと一緒に来い」
「最初はさ、砂浜で倒れてるエースを見て助ける気はなかったんだよ」
「?返事は、」
「まあまあ、いいから聞きなって」
「…わかった」
「で、助ける気はなかったのにエースが足掴むから仕方なく助けた」
「ははっ、ひでェやつ」
「ご飯食べたら出て行ってくれるかと思ったのに出て行かないし、その上お礼をしたいから仕事を
手伝うとか、とんだ迷惑って思ったわけよ」
「お前そんなこと思ってたのかよ!」
「でもさ、毎日エースと過ごすうちに、エースがどんな人かわかったし、良いやつじゃんって思った」
「あたりめェだろ」
「あはは、まあそれでね、誰かと一緒にいるのってこんなに楽しいんだって思った。親が死んでからは
ずっと1人だったから、なんか独りでいるのが慣れちゃってさ」
「…そうか」
「自分を不幸だと思ったこともないし、寂しいとも思わなかった。だけど、エースが来てからは、
ああ、もっと早く誰かと一緒にいればよかったって思った。だって、1人より2人の方が楽しいもん」
「……」
街で見かける他人の親子を見ても、自分は不幸だとか、寂しいとかそんなこと考えること自体馬鹿らしいと
思った。いつか人は独りになるんだから。あたしはただその順番が少し早まっただけだと思うことにした。
エースが来てからは、そんなの強がりだったんだなあって気づいた。独りの事実を突きつけられるのが
こわくて、目を逸らして生きていた。エースがここに来ないままだったら、そんな簡単なことにも
気がつかず、独りで寂しく死んじゃうところだった。
エースには、知らず知らず色々なことを教えてもらったんだなあって、今はそう思う。
「なにより、エースが来て1番変わったのは自分自身だと思う」
「……」
「最初に会った時、見た目もひどけりゃ中身もひどいやつだったと思う」
「そうか?」
「そうなの!髪だってぼさぼさで服もボロボロで、性格だってひねくれてて。まあ性格は今もだけど」
「はははっ」
「だけど、そのうちこのままじゃだめだってはっきり思った」
「そか」
「それはエースが来てくれたおかげだと思う」
「…おれはなにもしてねェよ」
「ううん、エースのおかげだよ。あたしは、エースにほめられたかったのかも」
「おれに?」
「きれいだよーとか、かわいいよーとか」
「会った時からお前はきれいだったよ」
「外見も?」
「いや、中身?」
「正直者だな、おい。でも、まあつまりは外見もきれいになって見てもらいたかったってこと」
「…ふうん」
「エース、ありがとう」
「なんだよ急に」
「全部全部、エースのおかげ」
「お前自身の努力だろ」
さらっとそういうことを言えちゃうエースもすごくすてきだと思う。
エースは真っ直ぐだよね。すごく、素直な少年みたいで、あたしには少し眩しかったよ。
あたしはそんなエースに会えてほんとによかった。今までの人生で1番、大切なひとだよ、エース。
「?お前、なに泣いてんだよ」
「…ごめ、ん。なんか感極まった」
「なんだそりゃ…。泣くなって、ほら」
泣きだしたあたしの涙をやさしくすくうエースの指も、今はなんだか涙を助長させる気がするよ。
エースの涙をすくう指も、頭もなでる大きな手も、あたしを抱きしめた腕も、いつもエースは熱かった。
それがね、いつも不思議に思ってたんだ。
「エース、」
「うん?」
「ごめ、ん」
「謝るくらいなら泣きやめよ」
「…ちがう」
「なにが?」
「エースとは、一緒に行けない」
「…」
「ごめん。ごめん、ごめんね…」
「…泣くな、ばか」
「ごめ、ん」
「いいから、泣くなよ…」
そうやってまたあたしを抱きしめるエースの腕の中で、思いっきり泣いた。
エースは泣くなって言ってたけど、そのうちただあたしの背中をなだめるように叩いててくれた。
そんなエースが、ほんとに大切だったんだよ。でも、あたしにはやっぱり行けない。
ごめん、それから、ありがとう、エース。さよならは、明日。