たとえば、あたしが悪魔の実を食べていたら、その力を存分に使って戦えただろうか。
たとえば、あたしが名のある剣士だったとしたら、どんなものでも切っていただろうか。
たとえば、あたしが狙撃の名手だったとしたら、狙ったものはすべて打ち抜いただろか。
たとえば、あたしが才能ある航海士だったとしたら、船を自由に操れただろうか。
たとえば、あたしが万能な医者だったとしたら、苦しむ仲間を助けられただろうか。
たとえばなんて、いくらあげても本当のあたしに当てはまることなどない。
あたしには、一体何ができると言うのだろうか。
何かに秀でているわけでもないあたしが、誰かの役に立つのだろうか。
あたしは、その答えを持っていそうもない。だったら、残る道は一つじゃないだろうか。
「やあ、ハニー」
「お前はなんでいつもそうなんだ」
「なにが?」
「全部隠そうと笑ってる」
「楽しいから笑ってるんだよ」
「嘘が下手なやつだなァ」
「エースほど下手じゃないさ」
「どうだか」
「まあ、いいじゃない。最後くらい」
「……」
白ひげの船を降りる。あたしはそう決めた。
本当はずっと前からその気持ちはあったと思う。ただ、見ないようにしていただけだ。
仲間はみんな良い奴だ。居心地が良いんだ、ここは。だからなかなか決心できなかった。
あたしの部下が怪我をした。ひどい怪我を。こんなあたしをかばっての怪我だった。
彼は、腕の良い剣士だった。そんな彼が何の取り柄もないあたしのために腕を失った。
剣士にとって、大事な腕だ。夢もあっただろう。あたしはそのすべてを奪ってしまった。
彼は、あたしのせいじゃないと言う。でも、それはあたしのせいだ。誰が何と言おうと。
部下の未来を犠牲に、あたしはようやく決心した。しょうもない決心を、彼の腕と引き換えに。
最初はみんな止めた。あたしなんかを止めてくれた。お前は悪くない。お前のせいじゃない。
違う。違うんだよ。これは今にはじまったことじゃあないんだよ。これは、必然なんだ。
この世に絶対は存在しない。だけど、必然はある。必ず、それは存在する。
あたしは、その必然によって決めたのだ。だから、もう、ここでの生活を終わりにする。
今日は、あたしを送り出すための宴会が行われた。別れにも出会いにも宴会をする。
海賊らしいじゃないか。あたしは、そんなみんなが大好きだった。これからもそれは変わらない。
オヤジも、マルコも、エースも、サッチも、みんな大好き。大切な、家族だから。
その中でも、エースには少し特別な感情を抱いていた。今となっては、もうどうでもいいことだが。
宴会が盛り上がりに盛り上がり、今は静かだ。さっきまでの喧騒が嘘のようで、少し名残惜しい。
静かな夜の海に、船がぽつんと浮かび、月明かりのスポットライトが当てられる。
あたしの別れを惜しんでくれているのだろうか。そんなわけ、ないか。
「いい夜だね」
「…あァ」
「あたしも悪魔の実でも食べときゃよかったかね」
「お前には必要ねェさ」
「そっか」
「あァ」
宴会が終わって、自然とみんな自分の部屋に帰ったり、誰かの部屋で飲みなおすようだった。
あたしは、この夜を海を眺めながら感じたかった。余ったお酒を片手に一人甲板でまったりしていた。
そこにエースがふらりと現れ、今に至る。
彼は、あたしとの別れを惜しんでくれるのだろうか。船を降りたら、あたしのことなんか、
一瞬で忘れてしまうのだろうか。少しでも記憶に残ればいいのだけれど。
「なんで船降りるんだよ」
「野暮なことを聞くんだねえ」
「他のやつは、お前が部下を守れなかったから責任感じて降りるって思ってる」
「じゃあ、そうなんじゃないの?」
「違ェんだろ」
「なにが?」
「違う理由があって降りるんだろって言ってんだ」
「違う理由ってなに?」
「そんなの知るか。だから聞いてんだろ」
「どうしてそんなこと思うの?」
「お前はそんくらいのことで逃げ出す奴じゃねェ。お前は…は、いつだって、
誰かのために一生懸命生きてる」
「だから?」
「お前はみんなのために船を降りる」
「ほー」
「そうなんだろ?」
「へえ。エースって意外と利口だったんだね」
「お前なァ」
「あはは」
確かに、あたしはもともとここにいるほど実力はないと思う。すごく役に立つやつじゃあない。
それでもうまく立ち回ってこれたのは、人より悪知恵が働くからだった。
少し前までは、それでもみんなの役に立つなら良いか、と思っていた。だが、そうもいかなくなった。
部下の怪我のことももちろんある。ただ、それは理由の一つに過ぎない。
本当の理由は、エースの言う通り、他にある。それもあって、ついに出て行く時が来たと思っただけだ。
いつかは降りなくてはならなかった。すべてが重なり、あたしは別れに導かれたのだ。
「教えろよ、本当の理由を」
「聞かない方が良いんじゃない?」
「なんでだよ」
「呪われちゃうかもよ」
「悪魔の実を食ってる時点で、もう呪われてる」
「そっかそっか。でも後悔するかもよ」
「別にいいさ。聞かないで後悔するより、聞いて後悔する」
「あっそ。まあそこまで言うならしょうがない。とりあえず座ろうよ」
「あァ」
エースと並んで座り、月を見上げた。
「ある病気があってね」
「病気?」
「植物が自己防衛のために出す胞子があるんだけど、それがもとに病気になることがある」
「それが?」
「その胞子は、体内に取り込まれると根をはり、その根から栄養を吸収し、成長する」
「だからなんだよ」
「あたしは、その病気にかかってる」
「…なに?」
「もう1年前くらいにね、発症したんだ」
「医者にみせたのか?」
「みせたよ」
「だったら早く治せ」
「治らないから船を降りるんだよ」
「…治せねェのか?」
「うん、そうだね」
その瞬間、エースの顔が険しくなり、戸惑った様子を見せた。
「船にいりゃ、いつか治す方法が見つかるかもしれない」
「その前に殺されたら?」
「どういう意味だ」
「敵襲にあって、あたしが殺されちゃったら?」
「殺されねェようにおれが守ってやるよ」
「でもさ、絶対なんてないんだよ」
「おれが守ってても死ぬかもしれないって言うのか」
「そういう可能性もあるよねって話」
「そんなのいくら考えても仕方ねェだろ」
「それでも、もしもがあったら困るんだよ。そうなったら、あたしは死んでも死にきれない」
「なんでだよ」
「実はこの病気には続きがあってね、すごくやっかいなんだ」
「なにが」
「その病気にかかっている人が死んだ時、体から毒が発生する」
「…なに?」
「その上、胞子も排出されて、周りの人に寄生しようとする」
「……」
「だから、あたしはこの船にはいられない」
「が死なないようにすりゃいいんだろ」
「エース、こないだの部下のこともあるから、あたしは降りるんだよ」
「だから、おれが」
「もしあの時あたしが切られて死んでたら、みんなが死んでたかもしれない。あたしのせいで」
あの時のことを思い出すと、肝が冷える。きっと、あたしがその時切られてその場で死ぬんだったら、
海に飛び込んでたと思うけどさ。死ぬのはあたしだけで十分。
「誰かを巻き込んで死にたくない。大切な家族を、巻き添えにするなんて死んでもごめんだよ」
「だからって、お前一人で死ぬことが最善策だって言うのか!?」
「そうだよ」
「なんでだよ!!」
「あたしは、足手まといになるくらいなら、一人で死ぬよ。それにね、この病気のせいで体も最近
調子悪いし、動きも鈍くなってる」
「だから、なんだよ」
「どっちにしろ死期が近いってことさ」
「ばかなこと言うんじゃねェ!!」
「現実なんだよ、エース。だから、ここらが潮時ってわけ」
「あきらめてんじゃねェよ!!」
「あきらめたんじゃないよ。あたしは選んだだけ」
「意味、わかんねェよ…!」
「大切な家族を巻き込んで死ぬのは嫌だ。これは譲れない。まあ、海賊なんだから海賊らしく
死にたかったけど、それも叶わないらしいから」
「ばかやろう!!」
「もう決めたんだ、ごめんね」
エースは、怒った顔をして、あたしの腕を掴んだ。怒った顔って、ガンガン怒鳴られてるから
わかりきったことだろうけどね。
あたしの腕を掴むエースの指がくいこんで痛い。それくらい本気で考えてくれてるのはうれしい。
でも、この気持ちは揺らぐことはないし、否定することも許さない。
自分の人生ですから、最後くらいは自分で決めてやりますよ。
「…他のやつは、知ってんのか」
「オヤジとドクターは知ってる。他は知らない。でも、マルコとかは気づいてるかもね」
「…そうか」
「エース、最後のわがままだから、許してよ」
「ばか」
「はいはい」
「、おれはお前が」
「エース」
「…なんだよ」
「もう遅いから寝よう」
「まだ話が終わってないだろ」
「でも疲れたから寝る。おやすみ」
「おい!…なんで逃げんだよ」
エースの言葉を遮ってその場を立ち去った。もちろん最後のも聞こえていた。
それでも、あたしは振り切らなくてはならない。エースの言いたい事もなんとなくわかったのだが。
今さらそれを聞いたところで、どうしろっていうんだ。むしろそれは、今のあたしにとっては
感動ではなく、悲しみしか与えてくれないだろう。
◇◇◇
あたしが降りる島はとても小さな島で、全体がジャングルで覆われている。
というのも、実は無人島だったりする。あたしがここで死んだ時、島に人がいたら迷惑をかけるから。
死ぬ時に誰かに迷惑をかけて死ぬなんてまっぴらごめんというわけだ。
前もって、ドクターに薬をもらっていた。いわゆる一つの安楽死できる薬というやつ。
この病気を治すことはできないが、最小限に抑えて死を迎えることができるこの薬をもらった。
最後まであたしを救うために努力してくれた彼らに、なんとお礼を言っていいかわからない。
薬を渡す時も、彼らは泣いていた。助けてやれなくてすまない、お前を救ってやりたかった。
そんなこと思う必要ない。あたしはしあわせだったんだからくいはないよ、と言った。
あたしはしあわせだった。本当にしあわせだった。大切な家族に囲まれてたんだから。
「ー!お前本当におりちまうのかよー!」
「降りるなよー!おれたちと一緒に来いよー!」
「みんなお前が大好きなんだよー!降りるんじゃねェよー!」
大人の男がみんなして泣いている光景はどこか面白く、温かみがあった。
あたしのために泣いてくれるみんなに、あらためて、この家族は最高だと思った。
みんなが送り出してくれている中、エースはただむすっとした顔でそっぽを向いて立っていた。
やっぱりこうなるだろうなあと思っていた。エースは笑顔でも涙でも送ってはくれないだろうと。
仕方ないことさ。あたしが悪いんだからね。
「みんな、今までありがとう!あたしはずっと、みんなの家族だから!どこにいても、みんなの
無事を祈ってる。…オヤジ、こんなあたしを娘にしてくれてありがとう!」
「…バカ娘が」
「あはは」
「元気でやれ。お前はずっと、おれの娘だ」
「…うん」
事情を知っているのに、みんなの前だからそんなことを言ってくれる。大好きな、あたしのオヤジ。
こんなどうしようもない、娘を拾ってくれてありがとう。
「それじゃあ、もう行って」
「ー!おれたちは忘れないからなー!」
「絶対忘れないからなー!おれたちのことも忘れるなー!」
「ずっと家族だからなー!」
「ありがとう!」
船が徐々に離れ、後戻りできないことを実感する。
泣きながら手を振るみんなの中で、エースはやっぱり、何も言ってくれなかった。
そりゃあそうか。でも、これだけは言っておくから。
「エース!!」
「…!」
「あいしてる!」
「なっ!?」
「それから、しあわせになってね!誰よりも!」
「…っなんで今さらそんなこと言うんだよ!!おれだって、お前のこと…!!」
「さよなら」
「っ!!」
突然の突風で船が加速し、一気に船が遠くなった。
みんなの叫ぶ声も聞こえない。エースの叫びも、聞こえない。
少しの寂しさが心にはあった。だけど、どこか静かに受けれる気持ちが確かにあった。
いつか、会える。いつか、きっと遠い未来で会えたら、その時は、