Nostalgia







07



(海が流した涙)










夕焼け色の街。夕焼け色に染まるきみの横顔。




ちゃん」
「なに?」
「俺ね――」
「……え? 聞こえないよ、もう1回言って」
「    」




もっと聞こえるように言ってよ。ねえ、聞こえない。聞こえないよ。
どうして笑ってるの?わたしはなんて言ったの?これはなんの記憶なの?そもそも記憶な
の?わたしは…、わたしは――誰?


















「……頭、痛い」




相変わらず痛む頭。日に日に夢を見る回数が増え、比例するように痛みを増す頭痛。
そんなわたしを見て、辛そうな顔をするレイヴン。どうして、きみがそんな顔をするのか
わからない。だって、痛いのはわたしだよ。別に、レイヴンはどこも痛くないでしょ。
それなのに、そんなレイヴンを見ていると、わたしの胸がちくりとする。
――これ以上、痛い場所増やさないでよ。



あの日、夕焼け色の記憶が蘇った日。
わたしとレイヴンは、家に着くまでずっと無言で帰った。つないだ手はそのままで。




(――レイヴンは、なにか知ってるの?)




そう聞けたなら、どれだけよかっただろうか。
聞いてしまえばよかった。それなのに、わたしは聞けなかった。聞くのが、こわかった。
なにかを失ってしまいそうで、なにかを得てしまいそうで、なにかが変わってしまいそう
で。足を踏み入れるのがこわい、そう思った。自分がこれからどうなるのかがわからなく
て、ただただ子どものように怯えた。
聞いた方がよかったのか、それとも、このままでいいのか、正解なんてわかるはずがない
のだ。過ぎ去ってしまったことに口を出しても、無意味でしかないから。
あれから、レイヴンは頭痛がひどくなるわたしを見るとあわあわとして、ひどくあわてる。
それと同時に、どこかほっとしたような、でも苦しいような、複雑な感情を見せる。
彼がわたしのもとに現れたことは、やはり、なんらかの意味があるのだろうか。




ちゃん、起きてる?」
「……あ、うん」




ぼんやりとベッドの上で回想していたら、レイヴンがドアの向こうで声をかけてきた。
ひどい頭痛で、学校は最近さぼりがち。まあ、大学って割とテキトーだから、だいじょぶ
なんだけど。いっちゃんからは、心配のメールが結構来るけど、心配しないでーと流して
いる。いっちゃんてば、いつもはわたしのこと雑に扱うけど、なんだかんだで優しい。




「具合はどう? 朝ごはん食べれそう?」
「うん、平気。なんかごめんね」
「いいのよ、気にしないで?」
「……ありがと」




そう言うと、困った顔で笑うレイヴン。最近、こんなのばっかりだ。わたしは、困った顔
で笑うレイヴンより、ふにゃりとして笑うレイヴンの方がすきなんだけどな。
なにをばかなことを考えているのだか。これもまた習慣となってきているのがこわい。
人って、慣れると無意識にやるからね。無意識ほどこわいものはないよね。うん。
重い体を起こして、リビングまで行く。そこには、ほかほかの朝ごはんがありました。




「良い旦那さまになりそうですな」
「俺様照れるー!」
「おうおう、照れておけ」
「なんか、男女逆転してるわよね」
「最近の女子は強いからね」
「そういうものなのかしらね」
「いや、わからん」
「言葉に責任持って!」
「ごめんごめんご」




軽口をたたきながら、一緒にごはんを食べる。
こういう時間がすごく、大切だなって思う。最近、特にそう思う。
――まるで、わたしの心が変わっていくようで、少しこわい。
今までの自分に自信がなくなる。わたしはごく普通の女の子として生きてきた。でも、そ
れを証明するものってあるの?わたしがわたしであることの証明。
哲学者のデカルトは言った。“我思う、ゆえに我あり”、それは、自分はなぜここにある
のかと考えることによって、自分は存在しているのだと証明している、ということだ。
でもそれってほんと?デカルトは懐疑主義者だった。すべてを疑う、それって楽しいの?
楽しいわけないよね、苦しいよね。確かに信じられるものがないのだから。
今のわたしって、懐疑主義者のようだ。不安に駆られて自分すら疑う。わたしは誰?わた
しを証明するものは?わたしの中にある記憶が絶対だという証拠は?わたしがわたしであ
る証拠は?……何一つとして、明らかにできるものなんてありはしないのに。
いかんいかん、こんなわけのわからないこと考えるから余計に頭が痛くなるんじゃないか。
そもそも、レイヴンという異世界の住人がいる時点で常識すべてが信じられるものではな
いという証拠じゃないか。ああ、もう世界って複雑。




ちゃん? どしたの?」
「え? なにが?」
「眉間、しわ寄ってるわよ」
「ああ、ちょっと難しいこと考えてた」
「今はあんまりそゆこと考えない方がいいんでない? もっと具合悪くなりそうよ」
「確かにね。余計に頭痛くなるよね」
「そうそう。だから、今は頭を休めてくださいな」
「うん、そーする」
「じゃあ、食後のコーヒーはいかが?」
「おねがいします」
「かしこまりました、お姫様」
「恥ずかしい人ですね」
「いいじゃないの! ノリ悪いんだから!」




ぷりぷりと怒るレイヴンはかわいいと思う。あ、わたし疲れてる。レイヴンをかわいいと
言ってる時点でもう疲れてる。すげえ疲れてる。もう、これ寝ないとだめなやつだ。うん。
でも、食べた後に横になると牛になるって言うよね。ていうか、普通に横になると逆流性
食道炎になるらしいね。気を付けないと!とか健康を気にしてみる。




「はい、コーヒー」
「ありがとー」




まったりコーヒーを飲んでいると、頭痛とか嘘のようだよね。嘘じゃないんですけど。
ああ、さっき起きたばっかりなのに眠気が……。寝たら牛に……逆流性食道炎に……。
それに、寝たらまた夢を見るんだろうな。わたしの知らないわたしの記憶。
不鮮明で、真実までは教えてはくれない夢。不親切だよなあ。こんなにわたしに訴えるく
せに、最後までは教えてくれないんだから。




「ねむい」
「ねむい時は寝るに限る! ……また具合悪くなってもあれだから、寝なさい」
「うん……逆流性食道炎にならないといいけど」
「ぎゃく……? え? なにそれ?」
「おっさんにはまだ難しすぎたか……」
「どゆこと!?」
「それじゃあ、あとはたのんだ」
「話は相変わらずぶった切るわね!」




ふふふ……という笑みを見せつつ、自分の部屋へと帰るわたしであった。特に意味はない。
丈夫な体だけが取り柄のわたしだというのに、こんな頭痛にやられてしまうとは情けない。
眠気に少しの頭痛を抱えながら、ベッドにもぐり込む。




(――ああ、もう夢でもなんでも来ればいいよ)




わたしったら突然たくましくなっちゃって。弱気でいるから夢の野郎もつけあがるのだ。
きっとそうだ。だから、わたしは受けて立つっていうんですよ。さあ、おいで。わたしが
お前のすべてを受け入れてみせる。かっこいいわたし。
――しばしおやすみ、世界。










               * * *










「ひどい奴だって、怒っていいのよ」
「怒ってほしいの?」
「そういうわけじゃないケド」
「じゃあ別に怒る理由ないよ」
「――裏切ったのに?」
「だから、なに?」
「え……?」




――夢。
相手の顔はぼやけて見えない。わたしは誰と話しているのだろうか。いつものことだが、
わたしは誰と話しているかわからない。見えない。知りえない。
だけど、この知らない誰かをわたしはよく知っているような気がする。切ないくらい、知っ
ているような気がしてならない。




「裏切ったから、なに?」
「なにって言われると困っちゃわね……はは」
「裏切ったままバイバイしたわけじゃないよ。そんなことくらいで、きらいにならないよ」
「……まいったわね」
「そんなの、大したことないよ。長い人生の中では、ね?」
「……そっか」
「そーいうもん!」
ちゃんには、ほんと敵わないわあ」
「女子は強い生き物だから」
「でも、」
「うん?」
「たまには、弱い所も見せてほしいわね?」
「いやだよ」
「俺だけに、見せてほしい……んだけど」
「え?」
「だめ?」
「    ってば、なに言ってるの」
「本気だもん」




名前が、聞き取れない。記憶の中の自分が言ってるはずなのに、名前もわからない。
わたしと誰かの知らないお話。これは、あの時の、夕焼け色の街で話した時のもの……?
この後、わたしはこの人とどんな話をしたんだっけか。笑い合うような、なにか大切なこ
とを話したような気がする。
――それなのに、思い出せない。わたしは結局肝心なところを思い出せない。どうして、
思い出せないの?苦しいよ、悔しいよ、悲しいよ。
夢の中だと言うのに、頭痛がした。すると、今までの夢にノイズが入り、乱れる記憶。
痛い、と思ったのと同時に変化する記憶。今度は一体なんだ。




「    !」
「……っ!?」




場面が変わった。それなのに、第一声が聞こえないなんて、ずるいよね。相変わらずわか
らない名前。




「――ちゃんっ!!」
「    」
ちゃん……!!」
「どうして、泣いてるの」
ちゃん、おねがいだから、もう、しゃべらないで……っ」
「……なん、で?     が泣いてるから、気になって、だめだよ」
「おねがいだからあ……っ!!」
「泣かない、でよ、    」
「……っ!」




――泣いている。泣かないで。泣くことなんか、一つもないよ。
いつものように、笑って。わたしだけに、笑ってみせてよ。ね、ほら、笑って……、












(笑って、レイヴン)




――わたしは、ここにいる。









               * * *










「……ちゃん? 泣いてるの?」
「わたし、」




目を覚ますと、妙にすっきりした頭。
そんなわたしを覗き込むのは、レイヴン。少し心配そうに見ている。




「こわい夢でも見た?」
「……ちがうよ」
「……え?」
「泣いてるのは、レイヴンでしょ?」
「俺? 泣いてないよ?」
「泣いてたよ。わたしの名前をずっと、ずっと呼んでた」
「……っ!」
「そうでしょ? ずっとここにいたのに、何度も呼ぶから、だから――」
「……っちゃん!!」




突然、レイヴンに抱きしめられる。心なしか、彼は震えているようだった。
今なら、なんとなく納得できる温もりだった。




「――思い出したの?」
「わからない……」
「そう……」
「レイヴン、」
ちゃん」
「え……、なに?」




真っ直ぐ見つめるレイヴンの瞳。海だ。わたしは、この海が泣いていたことを知っている。











「――“ダングレスト”って、聞き覚えある?」












瞬間、記憶がわたしの中を駆け巡った。
どれもこれも、懐かしい思い出ばかりで、息ができないくらい切なくなった。

























(すべての記憶に色が戻った)