Nostalgia







06



(吸い込まれそう)










夢。懐かしい夢。頭が痛い。わたしを呼ぶ声。誰だろうか。頭が痛い。
なにかを思い出しては流れるように去っていく記憶。懐かしさは、わたしにそっと触れて
は去っていく。わたしに何かを訴えようとしているのに、全てを教えてはくれない。
――頭が痛い。頭の中全体に響く不協和音。記憶の洪水が、あっという間に去っていく。




「だから、頭痛いっつの」




夢から覚めても頭痛は残った。まるで忘れるなとでも言われているよう。
最近、この夢を見ると必ず頭痛が残る。じわりじわりとわたしを侵食していくようだ。
わたしは一体何を思い出せばいいんだろう。
体を起こし、ぼーっと窓の外を見る。梅雨に入ってから久しぶりの天気だ。




「……洗濯、干さなきゃ」




だるい体を引きずって、今日も1日がんばります。










               * * *










「そんじゃあ、行ってきます」
「ん! いってらっしゃい。気をつけてね」
「あいよー。洗濯物は頼んだ」
「おっさんに任せなさい!」




いつものように、レイヴンに家事を頼んで大学に向かうわたし。
未だ、頭痛の余韻があるものの、そんな気にするほどでもないので、大学に向かう。
この頭痛が実は病気なんです、とかだったらどうしよう。すごく今さらだけど。実は病気
だったのです、とかすげえ笑えないんですけど。まあ、とりあえず学校だ、学校。
テキトーすぎるわたしですが、これもまたご愛嬌ってか!いや、なんかわたし自分を見失っ
てるよ。落ち着け。深呼吸して学校行こうぜ。










               * * *










「いっちゃん、わたしがもし不治の病だったらどうする」
「遊びに連れて行く」
「病人なのに?」
「不治の病だからこそでしょ」
「そういうもん?」
「そういうもん」
「わたしを病院から連れ出してくれるのだね、いっちゃん」
「連れ出す前に、が自分で出てきてよ。めんどくさい」
「ひどくなあい!?」
「それか、誰か男に連れ出されるくらいの女子力出せよ」
「無茶言わないでください」
「やればできる」




わたしの頭痛が実は不治の病の兆候だったりしたら、とか妄想してからのこの質問だけど、
途中でさすがにそれはないなと気づきました。
人間、最後は異性に惹かれるものなんですかね。わたし、いっちゃんに捨てられたような
気持ちになったんですけど、この純情をどうしてくれる。




「いっちゃんも、最後は彼氏のところに行くんだね……」
「そりゃそうでしょ」
「即答とかひどいよひどいよ!」
「まあ、彼氏の前に電話くらいするよ」
「電話ですんじゃう関係なのね……わたしといっちゃんの関係なんて、そんなもんなんだ」
「いじけないでよ、めんどくさい」
「今心折れた。折れたっていうか粉砕した。空中爆発みたいな感じで見事に弾け飛んだ」
「ごめんネ」
「心からの謝罪を要求する」
「ごみん」
「むしろ悪化した!?」
「まあ、そんなことはいいじゃないの」




流された。さらっと流された。やはりわたしというのは所詮それだけの存在なのだ……。
とか、一人で影を背負っていたら、いっちゃんが何事もなかったかのように話を変えた。
どうせわたしなんか……うわあああああああ!




「そういえばさ、聞くの忘れてたんだけど」
「なんすか」
「あんたさ、こないだ男と授業ない日に来てたらしいじゃん」
「え」
「誰なのよ、彼氏?」
「なにそれ、どこ情報」
「ゼミの後輩が見たって言ってた」
「これだから女子はおしゃべりでいかんな」
「そういう生き物だからね」
「そうかもしれないけどお」




まさかレイヴンと一緒のところを見られているとは!て、まああんだけ人がいるんだから、
誰かに見られててもおかしくはないよね。その場で話しかけられないでよかったけど。
いや、よかったのか?むしろその時言い訳していた方が……とか、過去の出来事をあーだ
こーだ言っても仕方ないですわな。




「それで? 実際のところどうなの? 彼氏?」
「いや、彼氏とかじゃなくて」
「友だち?」
「友だちでもないんだけど……」
「好きな人?」
「は? なにばかなこと言ってるんですかウケル」
「なに動揺してんのウケル」
「動揺とかしてないんですけどウケル」
「バレバレなんですけどウケル」
「全然そういうんじゃないんですけどウケル」
「いい加減めんどくさいから白状しなさいよ」
「いや、白状する内容とかないんですけど」




動揺とかしてないし、白状することもないというのに、目の前に座るお嬢さんは、にやに
やと腹立たしい顔でわたしを見つめる。そんなに見つめても何も出ないぞ。




「結局なんなの? その人はあんたのなに?」
「わたしの……」
「わたしの?」
「わたしの、なんだろう」
「それ、こっちが聞いてるんだけど」
「いや、よくわからないんだよね、ほんとに」
にとって、どんな存在?」
「……気になる、存在?」
「じゃあ、気になる人ってことで」
「あれ、それ決めるのいっちゃんなんだ」




とは言ってみたものの、実は結構しっくりきてたりする。
別にすきなひととかじゃあないけど、気にはなるんだよね、実際。
だって、レイヴンってば異世界からひょっこり来た人だよ。そりゃ、気になるでしょ。
しかも現在、我が家で絶賛居候中だし。それなのに、全然気にならないのよね、ふふふっ
て人がいたら教えてください。連絡待ってます。
まあ、他の意味も少し含まれていると言ったらそれも嘘ではない。なんか、レイヴンを見
てると、なにか大切なことを忘れているんじゃないか、っていう気になる。
それは、わたしにとって、とても大切なことで忘れてはいけないことのように思うのだ。
だからと言って、明確にはわからないのだが。




「ま、いいや。今度紹介してよ」
「えー」
「なに、紹介したら困ることでもあるの?」
「そうじゃないけど、なんか、うん」
「意味がわからないです」
「わたしもよくわからないです。とりあえず、気が向いたらね」
「もったいぶりおって」
「そういうんじゃないってばー」




きゃっきゃっうふふ☆と談笑していたわたしたちは、これを区切りとしてカフェテリアか
ら重い腰を持ち上げた。とっくに講義も終わっていたのだが、おしゃべりに花を咲かせる
のが女子っていう生き物なのですね。
そんなわけで、だらだらとおしゃべりを続けながら校門へと向かう。わっしょい。
それにしても、今日は晴れてよかったなあ。久しぶりの青空を見たよ。今はもう夕方なん
ですけどね。あはは。












ちゃん」
「は?」




いっちゃんと並んで校門を出ようとしたところで、誰かに話しかけられた。
声の主へと顔を自然と向ける。そこには、見慣れた顔があった。




「……え、レイヴン?」
「うん、迎えに来ちゃった」
「迎……え!?」




いつものふにゃりとした笑顔で迎えに来たと言うレイヴンに対して、わたしはアホ面をし
ていただろう。実際、横のいっちゃんからアホ面(笑)という声がした。




、あんたの知り合い?」
「え、ああ、うん……」
「どもども、いつもちゃんがお世話になってますう」
「いえいえこちらこそお」
「なんですか、きみたちのその間の抜けたあいさつは……って、じゃなくて! なんでこ
 こにレイヴンがいるの?」
「だから、迎えに来たって言ったじゃなあい」
「ああ、そうですね……じゃねえから!」
、せっかく迎えに来てくれたんだから一緒に帰んなよ。ていうか、彼氏いたん
 じゃない隠しやがって」
「いや、違うから。これ、さっき話題に出た……」
「やだ! ちゃんてば、俺の話してるの! もう、そんなにすきだったなんて!」
「照れ屋なんですよ、この子」
「あの、ややこしくなるから二人で会話するのやめてくれる?」
「じゃ、またねー」
「颯爽と帰るんだね!」




わたしの話を一切聞かずに颯爽と去っていくいっちゃん。なんかもう、なんでもいいや。
レイヴンはレイヴンで、去っていくいっちゃんにひらひらと手を振っている。もうやだ。
自由人にはついていけない。




「じゃ、ちゃん帰ろっか」
「ええ、そうですね……」
「なんか疲れてる?」
「いえまあ、それなりに……というか、よく迎えに来れたね」
「前に一度来たしね! おっさんもこれくらいできるのよ!」
「得意気に言われても」




こやつ、子どもか。小学生か。いいけどさ、別に……。




「迎えに来るなら言ってくれればいいのに」
「それじゃサプライズにならないでしょー」
「どんなサプライズだよ」
「ま、それは冗談なんだけどね」
「はい?」
ちゃん、朝具合悪そうだったでしょ?」
「え……」
「だから、ちょっと心配になって、ついつい迎えに来てしまいました」
「そりゃあ……どうも」
「いえいえ、どういたしまして!」




ちゃんのためならどこへでもー!と笑っているレイヴンに、少しだけどきりと胸が
鳴ったのはきっと気のせい。




「そういうわけで、せっかくだからデートがてら帰りましょ?」
「どういうわけで?」
「細かいことは気にしなーい!」
「……そうだね、たまにはそういうのもいいか」
「さ、お手をどうぞ?」
「どうもありがとう」




ナイトを気取ったレイヴンに、お姫様を気取って手を取る。そういうのも悪くない。










               * * *










夕焼けに染まった街を、レイヴンとゆったり歩く。夏が近いのか、日も段々と長くなって
いるようだ。
夏は暑いから嫌い。でも、夏の夜はすき。今はまだ夏前だし、夜でもないけど、なんとな
く夏の夜の空気に似ている気がした。夏の夜の匂いは、わたしの胸を締め付ける。それは
いつからだったか。曖昧な記憶をたどることはできない。
ふと、隣のレイヴンを見た。夕焼け色に染まったレイヴン。夕焼け色の、街。夕焼け色の
人。夕焼け……。
頭に痛みが走った。夕焼け、夕焼け色、夕焼け色に染まるレイヴン……。
なんだろう。痛みに目を瞑ると、わたしの知らない記憶が蘇る。
――夕焼け色に染まる街。大きな橋の欄干で、レイヴンとなにかを話す。笑う。




(なに、これ……)




痛い。頭が痛い。
わたしが急に立ち止まったことを変に思ったレイヴンが、心配そうに顔を覗き込む。




ちゃん? どうしたの? 具合悪いの?」
「わたし――」
「うん?」
「わたし、夕焼け色の街に、住んでいた……?」
「――え?」
「そこで、レイヴンと、話したことがある……?」
「……、ちゃん」
「ごめん、変なこと言ってる……」
「……」
「そんなわけ、ないのに。わたしはずっとここに住んでて、レイヴンと会ったことなんか
 あるはずない」




そう、あるはずがない。レイヴンは異世界から来た。それなのに、会ったことがあるはず
ない。あるわけがない。なのに、どうしてこんなにも鮮明でわたしの胸がざわつくの?
レイヴンは、黙ったままわたしの手をぎゅっと握っていた。
まだ痛む頭を押さえながら、レイヴンを見ると―――泣きそうな顔をしていた。
どうしてか、泣きそうなレイヴンを見ると、胸が痛くて痛くて、わたしの方が泣いてしま
いそうだった。
どうしてそんな顔をするの。なにを悲しんでいるの。なにを苦しんでいるの。わたしは、
どうしたらいいの?




「――帰ろう、ちゃん」
「うん……」




ぎゅっと手を握るレイヴンに、どこまでも引っ張られるように歩き出した。

























(わたしはどこへ帰ればいい?)