Nostalgia







01



(懐かしくて、切なくて、どうしたらいいかわからない)










夢を見た。とても懐かしい夢を。具体的に何が懐かしいのかはわからない。
ただ、懐かしくて胸が締め付けられそうな気持ちになるのだ。
この、不可思議で愛おしい夢は何度も見ている。思い出せないのに、懐かしいという
感情だけが残ったまま目が覚める。わたしになにかを訴えるかのような、夢。
きみの正体は一体何なのだろうね。涙すら流させる、懐かしさは何なのか。
考えても仕方ないので、目元をこすり、ベッドから抜け出そうとした。




「ん……」




「――え」




一人暮らしの部屋にあり得ない、他人の声が聞こえた。しかもすぐ横から。
不審人物?ストーカー?都市伝説にもあるような、怖いアレ?朝なのに?
頭の中を色んな言葉がぐるぐると走り回る。すっかり目が覚め、ある種の恐怖を抱き
ながらおそるおそる布団をはいでみる。




「あんた、誰……」
「んー」




知らない男の人が眠っていた。こんな状況でよく寝てられるな。その図太さに脱帽だ。
わたしのベッドに忍び込んだらしい謎の男は、現代日本では見られない謎のファッショ
ンだった。紫のはんてん?だかよくわからんものを着て、髪はテキトーに結んであって、
顔をよく見ると、無精ヒゲの生えたおじさん?いや、言うほどおじさんでもない?よく
わからないな。あ、というか、靴履いたまんまなんですけど。人のベッドに勝手に入っ
たあげくに土足とは、良い根性だ。




「ちょっと、起きてください!」
「んー……あと5分」
「警察呼びますよ?」
「んー? けいさつー? ってなあに?」
「警察ですよ、警察。ポリスだポリス」




なんでわたしは警察警察と連呼しなきゃいけないんだ。この謎の男がすべて悪いんだが。
とりあえず、すぐに警察を呼べるようにケイタイを探す。もちろん、謎の男から目を離
さずに手でベッドサイドを探る。
……ない。ないよ。どうしてないの!空気を読みなさい、わたしのスマートフォン!
お前はスマートなんだろう、賢いんだろう。だったら空気くらい読めるような賢さくら
い持っているんだろう!?そうじゃないなら、今後一切スマートだなんて、誇らしげに
名乗るんじゃない。この愚か者めが。
いや、そんなことはどうでもいいんだ。どうでもよくないけど、ケイタイを早くこの手
に収めたい。落ち着きたい。何かあった時のために。なにかあったらコワイけど。
わたしがこんなにも一人焦っているというのに、相変わらず、謎の男は寝ている。
この男は一体何者なんだ。じっと見つめていると、恐ろしい事実に気付いた。
寝ている男の背中側に、見覚えのあるケイタイが見える。
ああ、なるほど、そういうことか。これは神さまのイタズラってやつですか、ちくせう。
わたしに何の恨みがあるんだっていうの。
さて、さっきより冷や汗がものすごいのだが、そろそろこの男も起きていいのでは?




「ちょっと、あんたいい加減に起きなさいよ。むしろよく寝てられますね、起きろ!」
「んーはいはい……今起きる」




目をごしごしこすりながら、起きる謎の男。思わず身構える。




「で、どちらさまですか」
「うん、レイヴンって呼んで」
「あ、そうですか。わたしは……ってバカヤロウ!」
「え? なに? なんかまずかった?」
「名前を聞いてるんじゃないんです、あなたは誰だって聞いてるんです」
「え、誰ってレイヴン」
「なるほど、もういいです」




このおっさんふざけてる。絶対ふざけてる。ナメてる。人類ナメてる。というか、わた
しをナメてる。
きょとんとした顔で、「レイヴンよ、レイヴン!」とか言ってるこのおっさんを殺して
やりたいです。純粋な殺意がやってきました。




「じゃあレイヴンさん、さっさとこの家から出てってください」
「え、どして?」
「どしてもこしてもないんです! ここはわたしの家。あなたは赤の他人。さっさと出て
 行く。おっけー?」
「ああ、そゆことね。おっさん行くとこないからここに置いてくれる?」
「はいはい、わかりましたどうぞ! って言うと思った? ねえねえ思った!?」
「思った!」
「いやいや、無理言わないで。ほんと」
「変なことしないし、家事のお手伝いとかするわよ」
「そっか……って揺れないから。そんなんじゃ、わたしは揺れないから」
「残念」




とりあえず、ちょっと頭がフラフラするから、コーヒーとかくれる?とかずうずうしい
注文すらつけてくるこのおっさんに、絶望すら感じます。
でも、わたし自身少し落ち着きたいので、コーヒーを入れることにした。
もちろん、変なことしたら殺しますからね、という脅しを置き土産。




「というか、その前に靴脱いでください、靴!」
「あ。ごめん」




コーヒーを入れる間に、おっさんには靴を脱いでもらった。非常識極まりない!

















「――で、ほんとのところ、あなた誰なんですか。そもそもどうやってこの部屋に入っ
 たんですか?」
「いや、それがおっさんにもよくわからないのよね」
「はい?」
「つまり、どうしてここにいるのかがわからないっていうか。気がついたらここにいた
 っていか」
「いやいや、そんな言葉にだまされると思ったら大間違いなんですけどね」
「いやいや、ほんとに」
「証拠あんの、証拠」
「証拠はちょっと……あ」
「なに」
「ここってどこ?」
「は? だから、わたしの部屋です」
「そうじゃなくて、地名というか、そういうもの」
「トウキョウ」
「なるほどなるほど」




何なんだ。一体全体なんだっていうの。
どうしてここにいるのか自分でもわからないとか、それってあれか、夢遊病とか、そう
いう類のもの?
いや、それはないはずだ。なぜならば、家の鍵をきちんとかけたからだ。もし、この男
がピッキングやら実は合鍵持ってましたとかいう特殊事情を持ち合わせていたとしたら、
部屋に入ることも可能だろうが。
――それはさすがにない。なぜか確信があった。それと同時に、もしかしたら本当に、
気づいたらここにいたのかもしれない。それがどうやってかは、わからないが。




「たぶん、俺、違う世界から来ちゃったわ」
「あーそうかそうか、違う世界から来ちゃったかー! ってバカヤロウ!」
「あれだ、あれ! 巷で噂のトリップ?」
「噂になってねーし」
「でも絶対それ! うん、それしかないわ。というわけで、行く場所のないかわいそう
 なおっさんを助けてください!」
「なんか、やだ」
「ひどい! ぼんやりな感じが一番傷つくんだからね!」
「ふうん。あーなんかめんどくさくなってきた」
「もっと真剣に考えて!」
「いいよ、もうすきにしたらいいよ」
「え? それってもしや……」
「ここにいてもいいよ。その代り、変なことしたら殺しますから」
「わひゃん! こわい! でも、ありがとうね! ふふっ」




あまりに嬉しそうに笑うおっさんに、これでよかったんだ、と漠然に思った。
初めて会った人、しかもおかしな出会いをした謎の男にこんなことを思うなんてどうか
してる。そんなことはわかっている。
本能?そんな感じのもの。まあ、わたしが良いと言ってるんだから良いんだ。運命だっ
て結局決めてるのは自分なのだから。とか、少しスケールの大きな話になってしまった。




「あ! 大事なこと聞くの忘れてた!」
「今度は何ですか」
「名前、聞いてもいい?」
「ああ、そういえば言ってなかったですね。です。
ちゃん、ね。よろしく!」
「こちらこそ、よろしくレイヴンさん」
「あーレイヴンでいいわよ、レイヴンで!」
「でも一応年上だし」
「居候させていただくんですもの、どうぞ呼び捨てにしてくださいな」
「……じゃあ、レイヴン?」
「ん!」




またもや嬉しそうに笑うおっさん、ことレイヴンを見ると、なぜだから照れる。
なんでわたしが照れなきゃいけないんだ。まあ、いいか。よろしくっていうのも変だし
こんなんでいいのかわたし、と色々自分にツッコみたいことはたくさんある。




「あ、そうだ。わたし大学生なんですよ」
「ダイガクセイ?」
「あのー、あれだ。学生だよ学生」
「ガクセイ……」
「勉強してるアレ」
「ベンキョウ……」
「めんどくせ! まあ、理解しないでもいいですけど、大学生ってのをやってるので、
 ちょいちょい家を空けなきゃないんです。今はGW中だけど、2日後から学校」
「ほうほう。そしたら、留守番しておくわね! 俺様に任せて!」
「それはちょっと……」
「なんで!?」
「嘘ですけど。ま、そういうわけなんで、わたしが学校行ってる間は、おとなしくして
 おいてくださいね」
「はい!」




よくわからん責任感に、早くもやる気満々のレイヴンに、思わずため息をついた。
大丈夫なのか、本当に。不安しかない。が、任せるしかないか。
というか、大学生を知らないあたり、やっぱり違う世界の人なのか。ま、嘘かもしれな
いけどね。もうそんな疑うことすらめんどくさい。
ああ、もうどうにでもなれ!




「はい、じゃあこれに着替えてください」
「なあに、これ」
「兄の服。たぶん、同じような体格なんで着れると思います」
「うむ、ありがとうね」
「いいえ」
「やだ、ちゃんたらおっさんの着替えみたいの?」
「……」
「ゴメンナサイ」
「後ろ向いてるからさっさと着替えてください」
「はあい」




レイヴンが着替えている間、少し遅めの朝ごはんを作ることにした。
自分に兄がいてよかった。しかも不幸中の幸い?なのか、先月兄が引っ越してよかった
わ。タイミイングが良すぎてこわい。
ちなみに、兄は彼女と同棲ですって。はんっ!




「そういえば」
「何ですか」
「敬語とかいらないわよ、おっさんに」
「おっさんですから敬語使うんです」
「ひどい! じゃなくてさ、ほら、居候の身だから」
「そういうのに、居候も関係ないですよ」
「んー、でも俺はちゃんと普通に話したいのよね」
「……」
「なあに、その目は」
「いや、別に」
「だからさ、おねがい」
「……まあ、レイヴンが良いなら」
「うん、じゃあいつもの感じで!」
「いつも?」
「ああ、ほら、ちゃんが友だちと話す感じってこと。さすがに、友だちに敬語と
 か使ってないでしょ?」
「そうですね。うん、じゃあ、わかった」




ただ、それだけのことなのに、妙に上機嫌なレイヴン。変なの。
まあ、たった一時間ほどで、すんなり今後のことが決まるこの状況も相当おかしいと
思うが。もう決まってしまったことを気にしても仕方ない。
――なんとかなるだろう。たぶん。

























(その男は、わたしに懐かしさを運んできた)