恋とは何なのだろうか。 果たしてあたしはこの先ほんとの意味で理解できる日が来るのだろうか。恋と憧れの違いは 何なのだろう。恋と愛の違いは何なのだろう。感情とはどうしてこうも難しいものなのだ。 きっとアリストテレスだって、恋と愛の違いを正確に理解していない。いや、アリストテレ スだけじゃあない。ソクラテスもプラトンもデカルトもニーチェも知っているはずがない。 そうでなければ、世界中の人が恋に悩むことなどなくなる。そして、ハッピーエンドが常に 世界を回り、人々はみなしあわせになるのだ。ああ、これぞ理想論。 いや、嘘です。違うのです。ただ、今現在自分の置かれている状況から現実逃避したい一心 で、あたしはこんなスケールのお題を掲げてしまったのである。人というのは、逃げ出した いという状況に置かれると、どうも意識を現実から逸らしたくなる生き物らしい。かく言う あたしも、そんな哀れな種族の一員だということらしい。 こんな回りくどい言い方をして申し訳ないと思っています。でも、わかっていただきたい。 今のあたしは、冷や汗全開です。今まで生きてきた人生―まだ17年とそこらだが―で、こ んなにも冷や汗が出たことがあっただろうか。混乱しているのに、冷静に心の中で実況して いることがあっただろうか。いや、ないだろう。 そう、あたしはこの異国であるイギリスで、迷子になっている。ほんと、情けない。何より 異国で言葉も違うこの状況で汗がダラダラするのは否めないのではないでしょうか。そうだと 言ってください。言わなくてもいい。誰かこの状況からあたしを助けてください。 へーーーーーーーーーーーーーーーーーるぷ!!!! ◆◆◆ 事の起こりは1時間前だったような気がする。もはや記憶が混濁するまでに混乱している。 だけどきっと1時間前よ。うん、そうだったわ、きっと。自分の気持ち的にはものすごい時 間が流れたような気がしなくもないんだけどね!ひゃっほう! さて、確か今日はイギリスという名の異国を訪れて何日目になるのかしら。思い出せ自分。 そのくらい思い出せないとやばいよ、やばいって!がんばる! ええと、そもそもイギリスにどのくらい滞在するのでしたっけ?あれ、だいじょぶ?あたし ってばだいじょぶ?一週間?しおりに一週間って書いてあるよ!そんな長いの?知らなかっ た★いや、嘘ですけどね。さすがに知らないとかただのアホですやん。 気を取り直しまして、イギリスを訪れてなんだかんだで3日くらい経っているという話です。 なにそれ、あれか、あれなのか。キングクリムゾン的な話?そういうこと?そうらしいね。 とかなんとかボケたこと抜かしてますけど、今記憶がよみがえってきましたよ。キター!! この3日間は、普通に観光ってやつですね。さすがにこの学校も一週間自由にどうぞ!とか いう恐ろしいことはしないようで安心です。あれですよ、旅のしおり通りにシェイクスピア の生家とかハリー・ポッターの撮影に使われたところとか色々見て回ったわけですよ。 そういえば、あれだね。あのー、あれあれ。そうそう、どれ?なんだっけ。あ、バッキンガ ム宮殿?とかも行ったよ。やっぱこう、イイ!宮殿とかのそのー、ゴツい感じが外国!って いうあれよ。でも、さすが紳士の国だけあって、悪いゴツさじゃないっていうのが粋です。 わかっているよね。女子の心をワシ掴みっていうか、うん、すごいわー。 はっ!結局1時間前に何が起こったのか話すの忘れてた。うっけるー。さすがあたしだわ。 で、まあ簡単に言いますと、自由行動ターイムになりまして、エステル他と一緒にぶらぶら してたんだけど、すごい自分好みのお店を見つけてついつい吸い寄せられるようにお店にin。 そんで、いっけねー★班行動だったよー!と思ってお店の外に出ると、そこには誰もいなか ったのだ…。知っている人がいなかったって話ですからね。いやーびっくりびっくり。 そうです、そういうことです!つまりはあたしくしめがすべて悪いのでございます!模範的 な自業自得的イベントですね。はい、知ってます。だからこそ、とってもへこんでいるとい うか、ものすごい焦っているというか?だって、ここ日本じゃないんだもーん!きゃっふー! 「Hi!」 「はい?」 ちょ、おま、誰だ!?Hi!とか言ってきたよこの外国人男性!そりゃここイギリスだし?英 語でしゃべるのは当たり前なんですけど、なぜこんな日本人のちんちくりんであるあたしに 話しかけてきたのかっていう話ですよ。意味わからないよこわいよおばあちゃああああん! どうしましょ。とりあえずにこやかに話しかけてきているこの外国人男性をどうにかしなく てはならないのですけど、あたしにできることなんてなにもないんだぜ…。 「You look familiar, have I met you before?」 「え、ちょ、は?」 やべえ、やべえよ!英語でなんかしゃべってるよ!こわい!あたしには英語をしゃべるとい うスキルを持っていなければ、聞き取るというスキルも持ってないのだよ!こわい! こんな時、エステルがいれば…エステルさえいてくれれば!ていうかもういっそ誰でもいい です!小野とかでもいいや、いっそのこと!だから助けて!英語しゃべれる上に聞き取れる 人!そしてあたしの知ってる人!あたしってば意外と注文多いのね☆ごめんね!!! ああ、もういやだ!だいたい、イギリス人は紳士なんでしょ?そうなんでしょ?ちがうの? あれ嘘なの?どうなの?知りません。 って、おいおいおいおい!そんなこと考えているうちに英国紳士(仮)が肩に手を置いてき たよ!こわいよ!あたしってば食べてもおいしくないよ!いろんな意味で。なんつって。 じゃなくて、あたしどこへ連れて行かれるのでしょう!?だいたい英語で話しかけられても あたしは引きつった笑顔で笑っていることしかできないというのに。 英国紳士(仮)よ!こんな終始引きつった笑顔ではははと言っている日本人の17歳を捕ま えて楽しいかい!うれしいかい!どうなんだい! 本格的にやばくなってきました、なう。周りの誰か止めてくれませんかね、ほんとに。もし ここが日本だったら、「いやがってるだろ、離せよ」とか言ってくれる男性がいるかもしれ ないのに。あ、でも最近の日本人男性は草食系だし、そんなやついないか。オワタ^q^ そんなこと言ってくれる人なんて二次元にしかいねえよ!少女マンガじゃないんだから、そ んなこと頻繁にあっても困るわ、逆に。逆に困っちゃうわ。でも今ならイイ!今この絶妙な タイミングで登場してくれたら惚れる!ブサイクでも惚れる!オタクでも惚れる!きっと電 車男的な展開になるはずだ!だからタスケテケスタ! 今すごい自分のことを棚に上げたことをお許しください。どうか今だけの戯言をお許しくだ さい。そしてそろそろガチでまじでほんとに本気で助けてください!! すっかり脱力系女子みたいに身体がだるんだるーんってなって抵抗する気力がゼロになりま した。今までありがとう。そしてさようならーぐっばーい。あははは。 「Hey,stop hitting on her」 「What?」 肩を抱いていた英国紳士(仮もはや偽)から誰かに引っ張られたかと思うと、頭の上からと ても聞きなれた声がした。次に、あたしの胸をしめつける匂いがして、この力強い腕の持ち 主が誰か理解する。どうやら、彼のヒーローぶりは異国でも通用するものらしい。 そして、あたしはまた切なくって苦しくってうれしくなるのだ。 ていうか、レイヴン先生って英語しゃべれるんですね、まじ惚れるわ。もう惚れてますが★ ほんと胸きゅんですね。ここぞというのがわかるのでしょうか、先生は。驚き!そしてやっ ぱりだいすきです! もう、さっきから英国紳士(偽)と英語でなんか話している先生かっこよすぎで鼻血出る。 いっそ出してしまいたいです、鼻血を。いつもの8割増しでかっこよいです。英語話せる先 生とてもきまっています。すてきです。あたし、しあわせです! 相変わらずあたしはのんきな子ですわよ。しょうがないですけどね。今さらですし! 告白1回している時点で、すでにすべっているあたしですけど、やっぱり猪突猛進しちゃい ますよね。だって、まだまだ若いのですもの。30代の先生を落とすには若さで攻めるしか ないのですよ。うん。 あ、英国紳士(偽)とのやり取りが終わったようです。英国紳士(偽)が解せぬ(´・ω・`) という顔をして旅立たれました。なんか、ざまあwwって感じですね。ワロス。 「ちゃん」 「え?あ、はい」 あらら、なんか怒ってる?のかな。いつもより顔がこわい。つい最近もこんな顔を見たよう な気がしなくもないんですけどね。あたしは先生の怒った顔より笑った顔の方がすきだな。 あとはちょっと照れた顔とかたまらないですよね。思わず鎖骨にしゃぶりつきたくなるとい うかなんというか。あれ、なに言ってんですか、あたし。今自分にびっくりしたんですけど。 ピンポントで鎖骨って言った自分にもびっくりですけどね。きゃ、こわい☆ 「お嬢から連絡あった時はほんとに心配したのよ?」 「…はい、ごめんなさい」 「ただでさえ、ここは日本じゃないんだから」 「あい」 「もう、ほんとに心配ばっかりさせるんだから。この子は」 「ごめんなさひ」 しょぼん。とってもしょぼん。先生に怒られてしまいましたしょぼん。迷惑とか1番かけた くないのに。とってもとってもしょぼん。 「そんなに落ち込まなーいの!別に迷惑とか思ってないから、ね?」 「…はひ」 どうして優しくするのですか。それでも優しくされるとどうしようもなくうれしくなってし まうのですけれども。あたしはいつも同じことを繰り返している。それがどんな場所であっ ても、どんな時代を生きても、先生と出会ってしまえばあたしは同じことを繰り返すだろう。 まだ17年しか生きていない女子高生がなにを達観したようなことを言っているのだ!と、 怒られてしまいそう。丸の内のOLとかに。 でも、直感であたしはそう思ったんだもの。たかが17年、されど17年。そう思うよ。 というか今更だけど、先生の私服かわいい私服うううううううう!!! チノパン(ロールアップ)とかはいちゃってるよう!なにそれかわいい、死ぬ。 「さて、どうしましょ」 「はい?」 「このままお嬢たちのところへ送ってあげてもいいんだけど」 「うん」 「ちょっと、先生とイギリスを謳歌しませんか?」 「え、それって」 「行きたいところ、ある?」 「…ロンドン・アイ」 ◆◆◆ 「でか。さすが一周30分だけある」 「ま、とりあえず乗りましょうか」 「でもお金…なひ」 「そのくらい先生が出してあげるわよ」 「でも」 「俺がここまで連れてきたんだから遠慮はなしよ」 「…それではお言葉に甘えさせていただきます」 「はい、どうぞ甘えてください」 甘いのはあなたの方ではないですか。まるで甘い甘いお菓子のような笑顔を見せないでくだ さいよ。あたしの胃がもたれてしまいます。まあ、悪くない胃もたれですけどね。 そんなわけで、英国紳士並みのエスコートで、憧れだったロンドン・アイに乗ってきます。 憧れのロンドン・アイに憧れのレイヴン先生と乗れるとか、どうしましょ!あたしったらう れしすぎてうっかり爆発しちゃいそうです。しませんけど。したらテロと間違えられます。 「うわあ!すごい!ロンドンすごい!」 「これはすごいわねえ」 「せんせ!せんせ!あれ見てあれー!」 「はいはい」 先生の袖を引っ張りまくって興奮するあたし。とても子どもっぽい自分です。そんなことは わかっているけど、こんなすんばらしーい景色を見たら、誰もが子どもにかえりますわよ! 小学生のようなはしゃぎ方をするあたしに、先生は少し困ったように笑いながらも、とても 優しい顔で微笑んでいる。だからついつい甘えてしまうのだろう。 「先生」 「うん?」 「先生って英語しゃべれるんですね」 「そりゃまあ、先生ですから?」 「なんか、意外だったかも」 「失礼しちゃうわねー!ぷんぷん!」 「でも、かっこよかったかも」 「…そう?」 「ギャップ萌えですかね、ギャップ萌え」 「ふうん?」 「いつもだらけている人が真面目な顔をすると、お?って思うんです」 「なるほどー。メモしておきます、心のメモ帳に」 「ぜひ赤ペンでお願いします」 「りょーかい」 先生もあたしにギャップ萌え!とかないのかな。あるわけないか。ギャップとか皆無ですよ ね。いつも同じテンションで突っ走ってるもの。あらやだ、自分で言って悲しくなったよ。 別にいいんだ!素のあたしに萌え萌えしてくれればいいんだ!先生は素のあたしに萌え萌え してくれるはずだからいんだ!そう信じてるからいいんだ! とか言ってる間に、ロンドンが夕日に染まる。こうして見ると、空は全世界共通なんだなあ と思う。沖縄で見た夕日と同じくらいに、あたしの目を奪う。でも、これは隣に先生がいる からなのかしら。先生効果で夕日はいつもの8割増しでキラキラ輝いているのかしら。 ロンドン・アイに一緒に乗っている他の人たちも、夕日の美しさに声もないようだった。 知ってる?これは先生効果なんだよ。あたしのだいすきな人がいるからこんなにも夕日は輝 いているんだよ。…なんつって。 「沖縄の」 「え?」 「沖縄の夕日も、きれいだったわね」 「…そうですね」 「また、行こうか」 「え…」 「なんちゃって」 「…ばかあ」 「ごめん、ね」 期待を持たせる一言だけで、あたしは急浮上して、急降下するんだよ。先生は知っているは ずなのに、わざとそうする。ずるい大人。 あたしが涙をためれば、先生はあたしよりも苦しそうに顔を歪ませる。そうやって、自分を 追い込む。どうして、大人は遠回りばっかりするんだろうね。 先生は、あたしの肩を抱き寄せた。ここには、知り合いが誰もいない。ねえ、あたしたちは どう見えるんだろうね。親子?兄妹?叔父と姪っ子?それとも、恋人に見えるのかな? 「…弱くて、ごめんね」 「意味、わかんないです」 「うん、ごめんね。だから今だけ、」 「……」 「今だけ、ね」 「…はい」 今だけ、何なのだろうか。きっとそれは、あたしもわかっていることなんだと思う。今だけ しかできない。先生が弱いから、今だけ。 でも、ほんとは先生が弱いなんて思ってない。それは、弱いからじゃなくて、大人だからな んだと思う。大人は難しく考えすぎて、それが自分を苦しめる枷になってる。そのことに気 づいているのに大人はやめない。やめることができない。 あたしはそんな大人の先生とは違ってまだまだ子どもだから、理解できない。頭ではわかっ てる。でも、あたしは大人のように、あきらめたくない。 走って走って走って、壁にぶつかって、砕けてしまったのなら、あきらめるよ。大人は、壁 が立ち塞がったら、越えようとも思わないし、壊そうともしない。そんなの、間違ってる。 ねえ、先生。先生が怖いのなら、あたしが壊すよ。あたしが守るよ。あたしが乗り越えるよ。 だから最初っからだめだってあきらめないでよ。あたしが、その殻をぶち壊してみせる。 まあ、しょうがないから、今だけは弱い先生でいていいよ。 ロンドンの夕日だけが知っている、あたしたちの弱さ。 |