熱が出た。 どうせあたしは熱なんか出ないだろうと思っていたが、その後の出来事によって頭は混乱。 おそらく、知恵熱寄りの夏風邪なんだと思う。実は繊細にできていたんだなあ、自分。 今、この家にはあたし1人だ。おばあちゃんは、なにか栄養のあるものを買ってくると出かけ、 あたしは、29度に設定された冷房に少し冷やされた部屋で、ベッドに寝ている。 目を閉じれば、自分が発熱しているのだなあとあらためて感じた。やけに心臓の音は大きく 聞こえるし、肌に当たるタオルケットにも敏感に反応し、変に鳥肌立つ。 カーテンが閉められているものの、夏の日射しは、あたしにその光を届けようとする。 外からは1週間の命を全力で生きる蝉がせわしなく鳴き、夏休みを満喫する子どもの声が 遠くに聞こえる。 まるで自分だけが、世界からすっぽりと抜け落ちてしまったようで、この小さな部屋が唯一の 世界のように感じる。あたしはどうしてしまったんだ。熱に浮かされて頭がどうにかなったか。 どうにかなってしまったとしても、蘇るのはあの儚い少年と、恋してやまない先生のことが ずっと頭の中をめぐり、いつまでも再生をやめないのだ。誰か電源を切ってやってください。 とは言うものの、これは遅かれ早かれ、じっくり考えなければいけない問題なんだろう。 だったら、今のこの暇な時間を利用して考えるべきではなかろうか。 あたしは、考えるべきなのだ。少年に対してどう返事をするべきなのか、先生に対して どう振る舞えばいいのか。 今まで、頭の中をただぐるぐると流れていた映像たちをじっくり見つめて、あたしがしたこと、 されたことについてもう1度遡ることにした。 ブーブーブー。ここで携帯のバイブが鳴った。閉じかけた目を開き、電話を手さぐりで掴み、 電話に出る。 「もしもし」 『?』 「うん」 『あんた風邪大丈夫なの?』 「うん」 『講習終わったらモニカとエステル連れてお見舞い行くから』 「いいよ」 『冷たいものでも持って…』 「違うよ、来なくていいってこと」 『なんでよ?』 「なんでも」 『…なんかあったの?』 「ううん」 『嘘つき』 「うそじゃないよ。でもちょっと考えたい事があるんだ」 『わたし達にも言えない事?』 「いつか言うよ。今はまだ自分でちゃんと考えたい」 『…わかった。お大事にね』 「うん、ありがとう」 ツバキからの電話だった。彼女に対して、あたしは少々嫌なやつだったかもしれない。 そう思われても仕方ない。でも今回だけは、自分1人で考えたい。別に無理しているとかじゃない。 誰かに言いたいのに言えないとか、1人で思いつめてしまっているとか、そういうのでもない。 ただ、これは自分が考えなきゃいけないことだし、どうしても1人で考えなくてはならないもの だと思った。ツバキたちに話したくないとか、そういうわけじゃない。 あらためて、今回の出来事を回想する。 雨の日、アラシくんに沖縄のお土産を渡したいからと言われて、予備校の下で待ち合わせた。 そこでお土産をもらって、一緒に帰ろうとした。でも、あたしの傘がなくなっていて、 アラシくんの傘に入れてもらい、コンビニ行ったものの、そこにも売ってなかった。 仕方ないので駅の中で買うことにしようと、駅に向かって歩いていたところ、突然アラシくんに 腕を掴まれ、路地裏まで引っ張られた。そこで彼に告白され、混乱している中、表通りを 歩くレイヴン先生を見つける。先生はたまたまこちらを見ていて、なんということか、 アラシくんに抱きしめられたところを先生に見られてしまったのだ。その時の先生の顔を 忘れることはできない。きっとこれからも時々思い出しては、なんであんな顔をしたのかと、 あたしはずっと考え続けるのだ。だってそれは、先生に直接聞くことでしかわからない。 そもそも先生にしかそれはわからないのだから。 話を戻そう。先生のあの顔を見て、あたしは先生を追いかけなくてはならないと思った。 アラシくんに別れを告げ、あたしは先生を追いかけた。びしょ濡れのまま走り回り、やっと 先生を公園で見つけた。先生はあたしを見て驚いて、怒った顔をした。あの時はそれだけだと 思っていたけど、今思えば、先生の表情はもう1つあった。あれは、とまどいだったと思う。 なんで、追いかけて来たんだっていう顔をしていた。それは、とまどいでもあったし、悲痛の 顔にも見えたように思う。なぜ、先生がそんな顔をしたのだろう。それもまた、わからない。 先生の家に着いてからはあっという間だったと思う。びしょ濡れの服に代わりに先生の服を 借りて着替え、リビングに行けば先生が紅茶を出してくれて。そこまではよかったかもしれない。 その後は、アラシくんとの話になって、まあ突然の告白に繋がるわけだ。 あの直後、先生の家を飛び出た。せっかく乾かしてもらった服もすぐにびしょ濡れになった。 そして、泣いた。幸い雨に紛れたおかげで、泣いてるようには見えなかっただろう。 たぶん、混乱していたのだと思う。半ばやけになってした告白、そうした自分に後悔した。 先生を困らせただろう自分に嫌気がさした。それなのに、結局逃げ出した自分に涙が出た。 あたしは先生にこんな形で想いを伝えるべきではなかった。 だからと言って、もう終わったことをいつまでも引きずるわけにはいかない。 これからどうするべきかを考えなくてはいけないんだ。そうしないと、前に進めない。 あたしはいつだって明るく元気な女子高校生なんだから。迷うな。進め。あたしは、もう前に 進むしかないんだ。 ここまで考えて、眠気が襲ってきた。少し、眠ることにする。 ◆◆◆ 目を開けるとカーテンの隙間から射し込む光がオレンジ色になっていた。 どうやら自分が思っていたより眠っていたらしい。ベッドの近くにあるサイドテーブルに、 おかゆとミネラルウォーターの入ったペットボトル、風邪薬がお盆の上に置いてあった。 その横には、「おかゆを食べたら薬を飲んでね。おばあちゃんはお隣さんのところに煮物を 届けてきます」と書かれた紙が添えられていた。 お隣さんのところに行ったとなると、世間話に花を咲かせていることだろう。女性というのは いくつになってもおしゃべりがすきな生き物なのさ。 おかゆを見たらなんだかお腹が空いてきた。とりあえず食べることにする。 一口食べると、意外とお腹が空いていたらしく、全部たいらげた。その後、薬も飲んだ。 再び布団の中へと身体を預ける。見慣れた天井をただ見ていた。 どれが正しいとか、なにが間違ってるとか、そういうことはわからない。今日のあたしは、 どうやら根本的なことをもう1度考え直したいらしい。 そんな自分に付き合ってやるのもたまにはいいかもしれない。こんなに真面目に考えるなんて そうそうないことだろうから。しかも、その内容は恋ときた。なんとおませな高校生ってか。 いや、高校生くらいになれば普通だよね。 さて、じゃあ改めて今後について考えてみようかね。のシンキングターイム。いえい。 未だぼんやりと天井を見たまま、これからのことを考えた。 一見すれば、自分はただ天井をぼんやり見ているだけのようにも思われるだろうが、実際、 その頭の中はいつになく冴えていた。 まず、アラシくんについてだ。あたしが、今こうしてこんなにも頭をフル稼働しているのも 彼のおかげと言っても過言ではない。まあ、おかげというよりは、彼のせいって感じだけど。 正直、彼の気持ちはうれしい。誰かに好かれるっていうのは、すごくうれしいと思う。 これは、あたしだけでなく、ほとんどの人がそうじゃないだろうか。嫌な気なんてしないさ。 あたしにとってアラシくんは、仲の良い後輩であり、弟のような存在だ。そんな彼に好かれて いるというのなら、それはすてきなことじゃないか。でも、ここで問題なのは、ただ好かれて いるというわけではなく、あたしは彼に異性として好かれているということだ。 異性として好かれるということも、うれしいと言えばうれしい。でも、いくらうれしくても あたしはアラシくんの気持ちを受け入れることはできない。真っ直ぐな気持ちをぶつけて くれて、すごくうれしい。それでもあたしにもアラシくんがすきだと言ってくれるように、 真っ直ぐにぶつけたい相手がいる。すごく、だいすきで、大切な人が。 だから、ここはきちんと断るべきだ。断ることによってアラシくんは傷つくかもしれない。 悲しむかもしれない。そうだとしても、あたしは受け入れられない。こういうのは、長く 待たせるより、早く言ってしまった方がいい。うれしいけど、アラシくんの気持ちには 応えることができないって。そうすることが、彼のためになるんだと思う。すごく勝手な 話かもしれないが。 アラシくんには、自分の気持ちをはっきり言って断る。じゃあ、肝心のはどうする。 あたしだってとんでもないことをしでかしたと思っているよ。アラシくんは、2つ上の先輩に 告白した。あたしのことなんですけど。それって結構ありふれた恋愛事情だと思う。 だってそれは、高校生同士の恋愛劇場ですから。でも、あたしの場合はそれとは別だ。 なにせ、相手が高校教師。ああ、そういえばテレビドラマで高校教師っていうのがあったな。 内容は全然違うけど。あたしは、レイヴン先生がただすきなだけ。すきなだけっておかしいね。 言葉にならないほどのすきを抱えている。 あたしは、毎日先生に会いたいって思う。ずっと先生のそばにいたいって思う。先生をしあ わせにしたいって思う。先生の1番になりたいって思う。泣きたいくらい、先生がだいすき なんだよ。ただ、それだけだ。 世間一般から見たら、これは悪いことなのだろうか。モラルに反しているのだろうか。 でも、あたしは思うんだよ。誰かをすきになるのに、先生とか生徒とか、そういうのって 大事なことなの?年齢とか家柄とか社会的立場とか、そういうのってほんとに必要なこと? 恋愛小説みたいなことを言ってるってわかってる。だけど、恋することに制限なんてないはずだ。 まわりのことなんて関係ない。誰に何を言われようとそんなの知らない。世間体がどうした。 あたしはただ、レイヴン先生っていう男の人がすきなだけだ。そうでしょ? あたしは悪いことなんかしてない。恋をすることに悪なんて存在しない。誰が誰を想うかなんて 自由だ。それに、自分の気持ちに嘘をつくより、よっぽど正しいって思ってる。 それにもう、あたしは進むしかない。前を向いて走り続けるしかない。告白しちゃったし。 すごく突然だったし、ただの言い逃げだったけど、後悔なんかしてられない。 これをどう生かすかが勝負だ。きっと、先生のことだからすぐには返事をしないだろう。 だから、改めて告白する。先生にあたしの気持ちを理解してもらうことが必要なんだ。 あたしがどれだけ先生のことを想っているか。勝負は、クリスマス。去年はまるで夢のようだと 思った。先生といることがすごくしあわせで、時間なんて止まれって思った。 今年のクリスマス、すべてに決着をつける。それまで、悔いがないように、先生といられる 時間をたくさん作る。あたしのことを見てくれるように、あたしは全力で戦うよ。 ねえ、先生。きっと今あなたは困っているでしょう。困らせたいわけじゃなかった。 これから、あたしはなにもなかったように振舞うけれど、先生をからかったわけじゃないよ。 わがままだってわかってる。それでもいい。もう1度チャンスをください。 次が、最後だから。ほんとの最後だから。その時、あたしはどんな結果であろうと受け入れる。 だからお願い。先生も本気でぶつかってきて。嘘はいやだ。嘘なんかいらない。それがたとえ 優しい嘘であっても。お願いだよ、先生。あたしに、あなたの気持ちをください。 ◆◆◆ 「夏が終わるね」 「そうですね」 夏休みも終盤を迎えたある日、エステルを家に呼んだ。あの日のことを話そうと思ったからだ。 ツバキやモニカにももちろん言う。けど、その前にエステルに言いたかった。 「ねえ、エステル」 「はい?」 「あたし、先生がすきだよ」 「はい、知ってます」 「なんかこないだ、言い逃げしちゃったよ。先生がすきだって」 「え?」 「告白しちゃった」 「そうですか」 エステルはオーバーなリアクションをくれなかった。望んでいたわけじゃないけれど。 むしろ、この反応こそ想像していたものだった。きっとエステルは少し目を見開いて、優しく 笑ってくれるって。 「驚かないの?」 「驚きましたよ」 「うそだー」 「本当です。…でも、」 「うん?」 「らしいなって思います」 「そう?」 「はい」 縁側に2人で並んで夏の夜空を見上げた。 穏やかな風が吹き、風鈴がちりん、と音を鳴らす。それは、もうすぐ終わる夏を惜しむようで。 「でもは、このままで終わらせないんでしょう?」 「そりゃあね。だって、先生の返事聞いてないし。まあ、まだ言わないでって言ったけどさ」 「がんばってくださいね」 「うん、ありがとう」 「きっと、レイヴン先生はにメロメロです」 「あはは、メロメロって」 「本当です。だって、わたしがにメロメロですから」 「…あたしもエステルにメロメロだよ」 なぜかお互い告白し合った。そして、ちょっと笑った。 「フラれたらなぐさめてね」 「フラれませんから大丈夫です」 「そうかなあ」 「そうです。万が一そんなことがあったら、わたしが先生に怒鳴りこみに行きます」 「やだあ、エステルってば過激」 「意外とわたしはやれる子なんです」 「うん、知ってるよ」 「…悔いのないように、全力でぶつかってくださいね」 「わかってるよ。若い力を存分に発揮するさ」 「はい。良い報告を待ってます」 「任せろ!」 また、1つの季節が終わろうとしている。同時に、新しい季節が始まる。 こわいことなんか何もない。あたしには、見守ってくる力強い友人がいるから。 だからこそ、きっとあたしはがんばれる。負けないよ。絶対負けないから。なにより1番、 後悔しないように前を向いて走る。 今のあたしにできることは、きっとそれだけだから。ひたすら先生に向かって走る。 それが、あたしという恋する乙女だから。 顔をあげれば、いつだってあなたの背中が見えるから。 |