四.



(零れ落ちた先には何がある?)










「あれ、ちゃん? どうしたの、こんな夜に」
「……散歩だけど」




そっちこそ、綺麗な女の人連れて何してるのさ。
レイヴンの腕には、いかにも美人代表みたいな女の人が絡みついていた。
距離があるのにも関わらず、彼女からは女の香りが漂ってきた。
わたしには到底似合わないであろう、女の香り。




「……こんな夜に、おでかけ?」
「うん、まあちょっとね」
「ふーん……。じゃあ、おやすみ」




その場にいたくなくて、歩き出そうとしたわたしにレイヴンが声をかける。




ちゃん! 気を付けて帰んなさいよ」




何よ、それ。
保護者気取り?それとも、単にわたしが仲間だから?だから余計なひと言を投げかけるの?
でも、そんなのうれしくない。これっぽっちもうれしくない。
現に、徐々に離れていくレイヴンと美人さんの楽しそうな笑い声が嫌に耳についた。
わたしが欲しいのは、そんな言葉じゃない。
わたしを選んでほしいだけ。その腕に絡みついた女の人を振りほどいて、わたしと一
緒に帰ってほしいだけ。それだけ。
――――そう思うことは、いけないこと?




















目を開けると、涙でかすんだ天井が見えた。




(あんなにしあわせだったのに、今のわたしには胸を痛めることしかできないんだ)




わたしは罰を受けているのだろうか。わたしはどんな罪を犯したのだろうか。
これ以上、しあわせな思い出を忘れたくない。
これ以上、悲しい思い出を思い出したくない。
でも、どうにもできない。このまま、レイヴンと一緒にいても、わたしはただ辛い
だけだ。何より、レイヴンを傷つけることしかできない。それなら、わたしはレイヴンと
一緒にいない方がいいんだろうか。彼を傷つけるぐらいなら、そばにいない方がいい。
自分がしなくてはならいことは理解できてる。なのに、わたしのどうしようもない
レイヴンへの想いが、拒んでいる。
せっかく再会できたのに。せっかく新しい関係を作りだせそうだったのに。




「……ねえ、わたしが何をしたって言うの?」




目が覚めてなお、悲しい夢が永遠に続いているかのように、涙が止まらない。










               * * *










「おはよう、ちゃん」
「レイヴン、いらっしゃい」




いつものように、レイヴンが店に顔を出す。
わたしは、何事もなかったかのように笑顔で迎え入れる。




ちゃん、昨日は……その、大丈夫だった?」
「うん? なにが?」
「え? ……ううん、なんでもない」




レイヴンは、わたしの言いたくないという意志を汲み取ったのか、ただ、少し悲しい
顔をしてへらっと笑った。
ほらね、わたしはもう、レイヴンを悲しませることしかできない。
きっと、レイヴンの気持ちを焦らしてやろうだなんて、そんなことを思ったばかりに
罰が当たったんだ。そうだ、そうに決まってる。
記憶が抜け落ちた今、その時の気持ちを思い出そうにも思い出せないが、わたしは
うれしくてうれしくて仕方なかったんだろう。それなのに、なぜ遠回りをしようと
したのか。今となっては、何もわからない。どうしたら治るのかもわからない。
そもそも、これは病気なのか。わからないことだらけで、どうしようもなかった。
ユーリに頼るしか、今のわたしにできない。










               * * *










出来るだけいつも通りに、仕事をし、レイヴンと接した。
何も考えないようにするだけで、時間はあっという間に過ぎていく。
レイヴンとの時間がしあわせだった少し前と違い、今は早く別れることを望んだ。




「あ、そういえば今日、ハリーと夜会うんだった!」
「そうなんだ。久しぶりなんじゃない? 会うの」
「そうねえ、ダングレストにいても、ずっとここに居座ってたし」
「あはは、じゃあ今日はハリーのために存分におごってあげたらいいよ」
ちゃんも来る?」
「ううん、気持ちはうれしいけど遠慮しとく」
「そ? でも、おっさん、ちゃんがいた方がうれしいなー」
「……今度ね!」
「ぶーぶー! まあでも、今日は諦めるとしますか」
「ごめんって! 楽しんできてよ」
「あいよ」




そう言って、レイヴンは名残惜しそうに店を出て行った。
レイヴンのいなくなった店は、静かすぎて、世界にわたし独りだけのように感じた。
いっそ、このまま消えてなくなってしまえばいいのに。
悲しい思い出に苦しめられることも、レイヴンを傷つけることもなくなるのだから、
それが一番良い気がした。




「……それとも、全部忘れてしまった方がしあわせなのかな」




何が一番良いのかわからない。これからどうしていけばいいのかわからない。
ユーリ、早く来て。早くわたしは病気だって、そう言いに来て。
そう願いながら、カウンターに突っ伏し、ゆっくりと目を閉じた。










               * * *










「……ねえ、ユーリ」
「なんだよ」
「レイヴンって、あの弓の持ち主がすきだったってこと?」
「は?」
「だーかーら、あの、弓だって。あの女の子2人から譲り受けたやつ」
「ああ、あれか」
「やっぱり、そうなのかなあ。どう思う?」
「知らん」
「ひどい」




ユーリと二人でお酒を酌み交わしながら、今日の出来事を思い出して、深いため息を
ついた。




「絶対レイヴンさー、弓の持ち主さんがすきだったでしょ」
「だからなんだよ」
「勝てっこないじゃん」
「まだ負けてないだろ」
「そもそも勝負になるのかな」
「お前は生きてるんだから、勝てるんじゃねーの?」
「逆に向こうはもう死んじゃってるんだから、勝てっこなくない?」
「じゃあ、もう知らねーよ」
「一緒に考えてよおおおおお」
「めんどくさい」




勝てるはずがないじゃないか。レイヴンがもう思い出になってるからって言ったと
しても、本人の意識してないところできっと彼女を思い出すことがあるんだ。
わたしの知らない、知ることのできないレイヴンの彼女への想い。
相手はもう亡くなっているんだから、勝てるわけがない。
だったら、わたしがレイヴンをいくら想っても無駄なんじゃないのかな。
いくらがんばったところで、勝てるわけ、ないんだから。




「あーあ。ネガティブになってる」
「酒飲んでポジティブになれよ」
「なんかそれ、違う方向にいっちゃいそう」




キャナリさんより、早く出会いたかった。
レイヴンの中のキャナリさんなんか――――




「消えちゃえばいいのに」
























突っ伏していた顔を勢いよく上げて、起きた。




(消えちゃえばいいだなんて、そんな……)




自分の中の醜くてドロドロして、黒い何かがわたしをとらえた。
そんなこと思ってない。思っていいはずがない。なんでそんなこと、そんな無神経な
こと思えるの。わたしはいつからこんなに醜くなったの。




「こわい……!」




このまま、大きくて黒い何かに飲み込まれてしまいそうだった。
もしかしたら、もう、飲み込まれつつあるのかもしれない。
ああ、そうだ。きっとそうなんだ。




「自分のせいなんだ……」




こんなことを思ってしまった自分が、負の感情に負けてしまった自分に、彼女が罰を
与えたんだ。
しあわせな記憶はこれからも消えていく。
残るのは悲しい記憶と、醜い感情だけ。
わたしがレイヴンにできることなんかなくて、気持ちに応えることもできるはずが
なくて、ただ、一刻も早く彼の前から消えることが、唯一できることなんだ。





















(底なしの沼に吸い込まれていく)