二.



(積み重なる思い出、抜け落ちる想い出)










「みてみて、ちゃん」
「なに?」
「ほら、この花、珍しくない?」
「ほんとだ。珍しい色だし、形も見たことないね」
「すごくかわいいわね」




大の大人がふたりしゃがんで、道端に咲く花を愛でる。
そんな時間が大切で、こんな穏やかな日がいつまでも続けばいいと思った。




「ね、ちゃん」
「うん? なに?」
「こないだ酒場で話した、すきなひとの話、覚えてる?」
「……うん、覚えてる」
「すごく大切な人がいて、彼女を失って、もうそんな人は二度と現れないって」
「うん……」




その言葉は、わたしの恋心に死の宣告をした。
一瞬で酒が吹っ飛ぶくらいの衝撃をわたしに与えたんだから。忘れられるわけがない。




「大切な人はもうできないって、確かにそう思ってたのよ」
「うん……」
「でも、俺は――――」




――――俺は、なんと言ったんだろう。
レイヴンは、なんて言ったんだっけ。
その言葉を聞いて、わたしは笑って、恥ずかしくて、うれしくて、それで……。
それでどうしたの?一体、わたしはその後、どうしたんだろうか。
思い出せない。思い出せない。思い出せないよ――――。




















「おはよう、ちゃん」
「あ、レイヴン! おはよう、それから、いらっしゃいませ」




レイヴンは約束通り、毎日のようにわたしのお店に来て、常連となった。
こんなしあわせな毎日のおかげで、浮かれた日々を過ごしている。
朝。レイヴンが来て、お店でゆったりとした時間を過ごす。
昼。お昼を一緒に作ったり、忙しい時はレイヴンが買ってきたりして過ごす。
夕。お店を片付け、店じまいの準備。その手伝いをしてくれるレイヴン。
夜。夜ごはんを一緒に作ったり、作ってもらったり、作ったり、外食したり。




「あれ、これって新婚さん?」
「え? 突然何の話?」
「ごめん、ひとりごと」
「そう? あ、これこっちに置いておくので平気?」
「うん、ありがとう」




わたしの代わりに重い荷物を運んでくれるレイヴンを見ながら、思考を再開する。
ふと、自分の生活を振り返ったら、これってなに?新婚さん?やっぱり新婚?ってい
う気持ちになった。というか、新婚?
それは、まあ、確かにね、わたしはレイヴンがすきだし、こんな毎日過ごせてラッキー
だし、ハッピーです。
でもでも、そういうのって、お互いが感じないといけないものだし。
いや、待て待て。そもそもわたしはレイヴンとお付き合いしてないよ!今の言い方だ
と、付き合ってます前提じゃないか。そんな厚かましいことこの上ない!
……とはいえ、わたしとレイヴンの関係っていったいなんなのだろう。
元仲間?元ってなんだ、元って。わたしは今もレイヴンのこと大切な仲間だと思ってる。
じゃあ、元旅仲間?こっちの方が、まだわかるけど、別にたのしい旅をしていたって
わけじゃないし。
じゃあじゃあ、大きな困難を乗り越えて、固い絆で結ばれた仲間?
これって、恋愛フラグを乗り越えた先にある、行ってはいけないところじゃない?
レイヴンがすきなのに、そんな固い絆で結ばれた仲間って、そういう方向じゃないの!
わたしが進みたいのは!
どしたらいいんでしょうか。あ、自分ではどうにもできないか。




「……レイヴンはさ、すきなひととかいるの?」
「どぅえ!?」
「なにその変な声」
ちゃんが変なこと言うからでしょ!」
「だからって、そんな顔赤くして奇声をあげんでも」
「だって、恥ずかしいじゃないの!」
「ピュア……」




すきなひとだなんて!もう!とか、一人で照れてるレイヴンを見て、世も末だな……
とかちょっと思ったのはナイショ。
まあ、レイヴンの反応から言って、すきなひとは……いるのか?いないのか?
こんな意味わからない反応じゃ、判断できない。




「女の子はそういう話すきよね!」
「そうだねー。楽しいからじゃないかな」
「だからって、おっさんに聞いても楽しくないでしょーよ!」
「おっさんでも、恋の話ならまだ楽しく話せるという了見じゃないかな」
「あれ、もしかして、ばかにされてる?」
「ううん、してなーい」
「してる! 絶対してる! 言い方がもうしてる!」




口をとがらせて、ひどいや!とすねるレイヴン。
いじめすぎちゃったかな、と思いつつ、かわいいやつめとにやにやしてしまうわたし。




ちゃんさ、前にもそんなこと聞いてきたよね」
「え、そうだっけ?」
「うん。ノードポリカの酒場で、すきなひといるのー?って」
「言ってたような……言ってないような……」
「いや、うん、言ってたんだって」
「あ、そうでしたか」
「青年にもどうなのよー! とか絡んでたわよ」
「おおう……」




ちょっと思い出した気がする。
あれは、そう。いわゆる絡み酒ってやつですかね!へへへ!
ユーリにもしつこく絡んで、ほっぺをぐりぐりやってた気がする。その場では大人し
くしていたユーリくんですが、次の日、わたしのキライなしいたけを箸で掴んで、
ほっぺにぐりぐり押し付けていたのは、良い思い出です……フフフ。




「絡み酒するのは、あまりよくないね」
ちゃんは、いつも絡み酒だけどね」
「うん……反省してる……」




ほんとに反省しています。ええ、もう、ほんとにね。酒は飲んでも飲まれちゃだめな
のよ。そういう風に世の中できているのよ、たぶん。




「それで話を戻すけど、結局すきなひといるの? いないの?」
「ええー……」
「明らかに嫌そうな顔しないでください。
 それに、レイヴンってそういう話すきじゃないの?」
「あれ、おっさんは女子じゃないよ? 男の子だよ?」
「知ってます。でも、そういう話すきそうじゃん。男の子だってすきでしょ?」
「いやー……、あんまりしないんじゃないかしらね」
「ああ、そうなの……」
「ガッカリした顔しないの!」




男の子って、そういう話しないんだなー。いや、するかもしれないけど女の子ほどは
しないってことかな。
わたしも、ガールズトークの長さには感服いたしておりますが、どうしてこうも差が
出るのでしょうね、男と女じゃ。




「あ、思い出した」
「なにを?」
「俺、ちゃんに言ったじゃないの!」
「うん?」
「すきなひとの話!」
「え? うっそだー」
「うそじゃないもん!」
「気のせいじゃない?」
「言った! 恥を忍んで言いました!」




割といつも恥丸出しのレイヴンが、恥を忍んで言ったことなんかあったっけ?
うーんうーん、と頭を悩ませていると、レイヴンが意味ありげな顔で見つめてくる。




「なに?」
「……それに、その後も言ったじゃないの」
「え?」
「忘れちゃった?」
「なにを……」




と言いかけ、レイヴンとふたりで花を見ながら話していた時のことを思い出す。
酒場で話したすきなひとの話には続きがあって、それで――――。
それで、なんだっけ。それで、なにがあったんだっけ。
なにか、うれしいことがあった気がする。そんな気がするのに、続きを思い出そうと
すると、幻のように消えてしまう。真っ白の世界に消えていく。




「“俺は、また大切な人を見つけられたのよ。一緒に花を見て、笑い合えるような人が”」
「あ……」
「……忘れちゃってた?」
「ちが……」
「あはは、ごめんごめん! なんか、重いわよね、こういうの」
「ちがう、そうじゃなくて」
「いーのいーの! この荷物、確か配達するやつよね? おっさんが配達しておくね」
「あ、レイヴン……!」




レイヴンは強引に話を打ち切り、笑って配達に出かけた。
――――でも、わたしの横を通り過ぎる時に、唇を悲しそうに歪ませたのが見えた。
わたしの静止もむなしく、閉まった扉に手を伸ばしただけだった。




「……なんで、そんな大事なこと、忘れちゃってるの?」




わたしが忘れたことで、レイヴンは傷ついた。あんなに悲しそうな。
わたしのせいで、レイヴンが。
そんな大切なことを忘れるなんて、わたしにとってレイヴンはその程度なの?
レイヴンへの恋心はそんな程度なの?
――――違う。違う。違う!そんな程度のわけないじゃない。
レイヴンのすきなひとの話を聞いた時も、心臓が止まってしまうくらい悲しくて、
ああ、もう終わったって思った。わたしの世界が壊れてしまったような衝撃を受けた。
それくらい、レイヴンへの恋心はわたしの中で大きなものだった。ううん、今だって
それは変わらない。
なのに、どうしてわたしは忘れちゃったの?




(わたしは、壊れちゃったの?)




大切な言葉も思い出も忘れてしまうなんて、わたしは、壊れてるじゃない。
どうして?悲しくてつらいことは覚えてる。いくらだって覚えてる。
でも、大切でしあわせで、優しい思い出は、わたしから消えていくの?
消えていってしまってるの?
わたしは、どうなっちゃうの?
――――こわいよ。ねえ、こわいよ、レイヴン……





















(ひとつひとつ、こわされていく)