――彼がすきだ。 そう、思ったのはいつの日からだったろうか。 わたしの想いは積まれていく一方で、崩れることを知らない。 それと同時に、すくい上げてもらえることも知らない。 ただ、わたしの中で延々と見えない終わりに向かって積み上がっていく。 わたしの想いは、旅の終わりと共にそれは加速した。 会えない日々の中で、ただひたすらに彼を想った。いつまでもいつまでも想う。 「ちゃん」 そう呼ばれることがなによりもうれしくてたまらなかった、あの日々。 思い返すだけで、しあわせになれる。彼を思い浮かべるだけで。ただ、それだけで。 ――でもね、最近おかしいんだ。 わたしの想いは加速する一方なのに、やさしくて、しあわせな思い出がわたしの中か ら滑り落ちていく。拾おうと必死に手を伸ばしても、それはただ指の間をすり抜けて 砂のようにこぼれてしまう。 もがけばもがくほど、わたしの思い出は消えていく。 どこまでも、どこまでも、見えない底へと落ちていく。 わたしは、消えてしまうんだろうか――――。 「これ、ひとつください」 「はい、ありがとうございます」 旅が終わって、世界は修復していく。少しずつ少しずつ新しい形に変化しながら、傷 を癒していく。 みんなと別れてから、わたしはダングレストで小さな雑貨屋を開いた。広場から離れ た場所にぽつんと開き、隠れ家のようなお店。雑貨屋なのに隠れてどうするんだ、と ユーリに言われたような気がする。幸い、隠れ家的な雑貨屋にも足を運んでくれるお 客さんがいるので、生活には困っていない。わたしも、この生活に満足している。 ――ただ、ダングレストにいながらも、レイヴンに会えないのは少しさみしい。 レイヴンは、帝都とダングレストを行き来する日々で、それとはまた別にあちこちを 飛び回るという生活をしている、らしい。 らしい、というのも、実際本人に聞いたわけではないからだ。店が開店の手伝いとして 来ていたユーリやカロルから話を聞いていたからだ。彼らも忙しいらしく、開店してから 久しく会っていない。 「ヒマしているのはわたしだけ、ってことかなあ……」 いやいや、ヒマなんかしていない。これでも色々やることがたくさんあるのだ。 雑貨の在庫を毎日チェックして、定期的に仕入れに行ったり、お店でお客さんの相手 をしたり、家のことをやったり、まあそれなりに忙しいというか。 ただ、みんなのように、いつかの旅のように慌ただしくはないっていう意味で。 「……って自分に言い訳してどうするんだか」 それにしても平和だな。 旅をしていた時は、戦い続きで、つらいこととかもたくさんあったけど、それでも みんなといられた時間はすごく大切だった。 レイヴンとも、毎日一緒にいられたわけだし。そりゃあ、レイヴンが裏切った時は ショックだったけど、何が一番悲しいかって、それを彼は一人で抱えて、話してもら えなかったってことだ。 わたしじゃあ、全然頼りないし、仕方ないけど。わたしにできることって言ったら、 ひたすら前の敵を倒すだけだった。 ユーリには、お前みたいな前衛型が隠居するとは意外だな、とか言われたような。 確かに、レイヴンの近くで手伝えたら、とか思ったこともあったけど、なんだろう、 わたしは自分に自信が持てなくて、手伝いなんか何もできないって思った。 だったら、いつか会える日まで、わたしはわたしの道を見つけて、すてきな女子にな ろうとかなんとか。戦いに身を投じるよりも、女の子らしい生き方も悪くないと思っ た。ただそれだけ。 「……会いに来てくれたらいいのになあ」 わたしが臆病だから、レイヴンに会いに行けないだけなんだけどね。 わたしも意外と恥ずかしがり屋の乙女ってことだ、うん。 カランカラン 物思いに耽り、ひとり言すらもらしていたわたしの元に、訪問者を知らせる音が響く。 仕事だ仕事!と、訪問者に「いらっしゃいませ」と声をかけようとしたが、その訪問 者に思わず言葉がつまった。 「うそ……」 カウンターの先に立つ、猫背の彼は、わたしが一番来るのを願っていたレイヴンだった。 「ひさしぶり、ちゃん」 懐かしい声。懐かしい笑顔。懐かしい、この胸の高鳴り。 ――本物だ。 「……レイヴン?」 「うん、レイヴン」 「そっか、レイヴンか……」 「そうそう、レイヴン」 「うんうん、レイヴン」 「……なんか連呼されるとさすがに恥ずかしいわね」 「あはは、確かに」 少し頬を赤くして照れるレイヴン。本当の本当にレイヴンなんだな、としみじみ思う。 本物のレイヴンを見れただけで、もうしあわせでしあわせで仕方ないのだ。 「あ、今お茶淹れるね」 「お構いなくー」 わたしはスキップをしてしまいそうな夢心地でお店の奥へと引っ込んだ。 店と自宅はつながっているので、キッチンでお茶を淹れる。この間に、もしもレイヴ ンが帰ってしまったらと思い、急いで店へと戻る。 だが、それは杞憂で、彼は小さなお店の中をもの珍しそうに見て回っていた。 彼がいることに安心しながら、レイヴンに声をかける。 「お茶、入ったよ」 「お、ありがとー!」 お客さんに少しでもくつろいでもらえるように、と思って改築した店には、カウンタ ー席を作った。レイヴンは、カウンター席に座ると、お茶に口をつける。 「すごく良いお店ね」 「そう?」 「うん。ほっとする」 「ほんと? そう思えるようなお店にしたいって思ってたから、うれしい」 「なーんかちゃん、って感じのお店ですごく良い!」 「あはは、なにそれ」 レイヴンがわたしのお店にいるなんて信じられないな。でも、すごくすごくうれしい。 なにより、また会えてよかった。 「それにしても、会うのすんごい久しぶりよね?」 「だってレイヴン、ちーっとも会いに来てくれないんだもんね」 「ごめんごめん! ずっと来ようと思ってたんだけどなかなか忙しくてね」 「別にいーけどさ」 「ほんとはお客さん第一号になりたかったんだけどね」 「第一号なんて夢のまた夢じゃん」 「まったくその通りです……しゅん」 「でも、来てくれただけで、すごくうれしいよ。ありがとう」 「そりゃそうよ! 約束したものね」 ――約束。 約束?やくそく?ヤクソク? わたしは、どうかしてるんだろうか。レイヴンと約束なんて、した覚え、ない……。 大好きな彼との約束を、どうして忘れられるっていうの。約束は忘れないためにある んでしょう?それなのに、わたしが忘れるなんて、そんなわけ。 「ちゃん?」 「……え?」 「どうかしたの? なんか、顔色悪いけど、へーき?」 「うん、ちょっと、眩暈がしただけ。だいじょうぶ」 「そ? 無理しないでね?」 「うん、ありがとう――」 自分の心臓が大きな音を立てている。どうしたの、何をそんなに怯えているの。 大好きなレイヴンと会えたのに、どうしてこんなに不安な気持ちになるんだろう。 「そうだ。レイヴン、また帝都に行くの?」 「ん? あ、それがね、しばらくはダングレストにいられるのよね」 「そうなんだ」 「そ。だから、ここにいるうちに、この店の常連になっちゃうからね!」 「ほんと? もし常連になってすぐ来なくなったら出禁だからね」 「おおう、厳しいのね……」 「常連になったからには、定期的に来てよね?」 「がんばります!」 「よろしい」 こうやってまたレイヴンと話せるようになれるなんて、夢のようだ。 本当に、夢のように消えてしまいそう。お願いだから、わたしからささやかな夢を奪 わないでください。この恋を叶えてほしいなんて、言わないから。 ――せめて、彼との時間を奪わないで。 誰に言うでもなく、不安そうな胸の鼓動に、ただ願った。 (思い出は、わたしの思うよりも儚く、弱かった) |